予告状は君の心に -Little Star-
本名を、知りたいと思うときだって勿論あるのだけれども、その問いを口に出そうとする度に優しいキスでごまかされてしまう。 大体、あいつだけ俺の名前を知ってて名前で俺のことを呼んでくれるのに、俺はあいつの通り名しか知らなくて、でもそれは特定の誰ってわけじゃなく皆が知ってるってことが物凄く不公平な気がする。 まぁ、俺の名前だって皆っていうか家族とか、知り合いとかは知ってんだけど、けど。 あいつはあいつが知らない人間にも名前を呼ばれてしまうわけで……。何かちょっと淋しい。 だって、あいつがあいつの名前を呼ぶ誰かに一回も会ったことが無くても、話をしたことが無くても、知ってるんだ。 新聞とか週刊誌に載ってる写真だけ見てあいつと夢の中とか出会える人間がいると思うと、やっぱ淋しい。 でも、もし名前を、本名を知ったらお別れ、とかいう展開になるのはもっと嫌だ。凄く怖い。嫌だ。 けど……。 「苑?」 月に二回ぐらい、大体第2、第4土曜の夜に俺の部屋の窓をドア代わりにしてこいつは来る。 もっと逢いたい。けど、こいつが仕事して新聞なんかに取り上げられるのも嫌だ。 (最近、矛盾ばっかだ。俺) 温かい腕に抱かれて、広い胸に耳押し付けて鼓動を聴いてるだけで良かったはずなのに、もっと長く、もっと一緒にいられたらって思う。……そんなこと思っちゃいけないのに。 「元気が無いな。学校で何かあった?」 見上げた俺の額に自分の額を合わせて目を閉じる。子供の熱測るみたいに俺の心の中も分かってくれたらって、無理なことを願う。 「俺と逢えないのが淋しい?」 額を離して優しく笑うこいつのこの言葉に、多分、俺の顔は真っ赤に染まったと思う。 「な……な……」 「苑の考えてることは分かるよ。でも学校があるだろう? 毎日は逢えないよ」 「毎日じゃなくてもいいから。休みの日とか、毎週土曜日とか、それで我慢するから」 少しでも長く一緒にいさせて、という俺の願いは言葉にしなくても伝わった。 長くて、ピアノを弾くのが似合いそうな指が俺の唇に当てられたから。 「長い休みになったら泊まりにおいで。俺は一人暮らしだから遠慮する相手もいないし」 凄く大事な人を抱きしめるには、どうしたら想いが伝わるのか分からないけど、こいつが俺を抱くときはもう、その仕種だけで「大好きだよ」って言われてる気がする。 力強過ぎなくて、でも絶対に離さないって抱きしめ方。俺もいつかそういう風に抱きしめ返したいんだけど、まだまだ未熟者で。 「あと一つ、俺に言いたいことがありそうな気がするんだけど」 耳元で囁かれて、体温が上がる。自分じゃどうにも出来ない熱が生まれる。 「言っても、怒らない?」 「怒らないよ」 「俺を嫌いにならない?」 「ならないよ」 「二度と、逢わないなんて言わない?」 「絶対に言わないよ。言ってごらん」 言ってるうちに涙が零れてきて、それを唇で優しく拭ってくれるこいつの目に、これを訊いたらどんな色が浮かぶのか分からなくて。 でも、どうしても訊きたくて。 「本当の名前……オクトじゃなくて、本当の名前、教えて」 一瞬驚いた顔したのが分かったから、俺は目を伏せた。どんな風に思われたのか、怖くて知りたくなかった。 「…………」 耳元で、大切な呪文、そっと呟くみたいに聴こえた名前。 目を開けたら、凄く申し訳ないって顔したこいつが……海斗がいた。 「俺の知り合いしか呼ばないよ。名前を呼び捨てにしていいのは家族と」 「家族と?」 「両親と、俺の最愛の人だけだよ。ごめん、不公平だったね。俺だけ名前言わなくて」 「ちがっ……だって……」 「少しだけ苑が俺の名前知ったらどうするかなって考えてたんだ。絶対ありえないのにね」 左手の薬指の付け根に優しくキスされて、そこからまた熱が生まれていく。赤くなった顔、見られたくなくて顔を逸らしたらさっきみたいにこつん、と額を合わされた。 「出逢ったとき、オクトだったからずっとオクトのままでいよう、なんて甘えていたね。本当にごめんね」 ぽろぽろ涙が零れてきて、優しく拭われて、でも止まらなかった。 「何で、全部、俺のこと」 「大切な人の願いや、言葉に出来ない想いを全部抱きしめなきゃ、二人とも幸せになれないからね」 「海斗……」 本格的に泣き出した俺を、海斗はずっと抱きしめてくれてた。 「大好きだよ」とか「ごめんね」とか、ずっと耳元で囁いて、背中をさすってくれてた。 しばらくして、俺の涙が止まって、まともに海斗の顔が見られるようになって、俺ははたと気が付いた。 「家、どこ?」 ここでしか逢ってないから、知ってるわけもない。 「来週の土曜日、近くまで迎えに来るよ」 「もしかして、車?」 「赤いカマロだからすぐに分かるよ。ちょっと乗りづらい車だからこうやって乗せてあげるね」 言うや否や、俺は……その……いわゆるお姫様抱っこをされていた。何か、物凄く恥ずかしいのに嬉しかった。 「はい、お姫様」 ふわりとベッドの上に寝かされて、指先に口付けられる。 「私がお迎えに参りますまでお待ち下さいますか?」 言いながら、唇は手の甲に触れていた。頷くと、真っすぐ見つめられ、顎を捕らえられる。 こんなことは初めてで、俺はどうしたらいいのか分からなかった。 「それではお約束の印に」 「んっ……」 触れられた唇がいつもとは比べ物にならないぐらい熱くて。 「続きは来週の土曜の夜に、ね」 唇の上で囁かれたその言葉に、俺は身体を震わせていた。 じゃあ、と音も無く窓から出て行った海斗をぼうっと見送って、知らず知らずのうちに指先で触れた自分の唇は、さっきの海斗の熱が移ったかのように熱かった。 |
後書きと言う名の言い訳 |
さて。これはあれです。 怪盗シリーズの原型とまではいかなくとも些細なきっかけになったものです。 怪盗オクト。何故オクト。 海斗→カイト→タコ→蛸→オクトパス→オクト。 ……洒落です。洒落。 20040310 再アップ20080207 |