自分の気持ちからも役目からも、逃れられたなら。 逃げ出す 「皆守君、ちょっと良いかしら?」 「……何か」 「瑞麗先生から言伝を頼まれたの」 「保険医から?」 「ええ。保健室に顔を出して欲しいって」 きちんと保健室に行って頂戴ね、と。 遠慮がちに、しかしきっちりと言い残して雛川が教室を出て行った。 昼休み、前。 「皆守クン、先生に何か怒られたとか?」 「何もしないのにいちゃもんつけられるはずがないだろう」 「そっかー。あれ、九チャンは?」 「……知らん」 そんな冷たい言い方無いじゃない! と大声を上げる八千穂を無視して教室を出る。 ここ数日、休み時間のたびに姿を消す九龍。昨日など夜しか顔を合わせていない。 夜の探索時にはいつもと言って良いほど連れ出されるが、昼間はほとんど口を利かない。 必要最低限の、それだけ。 今日に至っては顔も見ていない。朝から学校に出てきてもいない。 「皆守」 「来てやったぞ、保険医」 「その口の利き方はどうにかならないものか……まあ良い。二三聞きたいことがある。昼食は?」 「まだだ」 「なら手短に用件だけ話そう。葉佩の最近の動向について思い当たることは?」 「は?」 「思い当たる節がないのなら、もう良い。時間を取らせてすまなかったな」 「おい」 「お前ではない他の誰かに聞いたほうが良さそうだ。用件は済んだ。昼食に行くと良い」 「おい、だからなんの」 連続攻撃に口を挟む間もなく締め出しを食らう寸前に、ふわりと舞ったカーテンの向こう。 背を丸めて眠る、影。 よく見知った、姿。 「どういうことだ」 「お前が知らないものを私が知っていると思うのかな?」 俺だけしか知らない、という。 その言葉の持つ響きは、甘く。 同時に、昏い欲望と既に絶たれている望みが顔をのぞかせる。 「あれは私の領分ではない。皆守」 「……何だよ」 「陽の光さえ吸い尽くして尚深い闇の底には、何があると思う?」 「何の謎かけだ。生憎と俺には」 「付き合っている暇がないのなら、ここにいる必要は無い。さあ、昼食を取りに行くと良い」 追い出された扉の前。 そのままずるずると背を預けてしゃがみこむ。 「皆守さん」 「……白岐」 「葉佩さんを、知らない?」 「奴ならこの中で寝てる」 「そう。なら、良いわ」 低い俺の視線に合わせようとはせず、淡々と言葉を零す白岐も。 九龍に手を貸している。 以前なら、俺が何をしていようが。 否、誰が何をしていようがどこにいようが気にもかけなかったのに。 「あの人が来てから、葉佩さんは笑わなくなったわ」 「……どういう意味だ」 「分からないの、私にも。ただ、苦しんでいるのが見えるだけだから」 自分の胸を押さえて、睫毛を伏せて。 「気をつけて、あげて」 願うことなど、しそうになかった女が。 「俺には何もできない」 「葉佩さんの隣に立っているのは、貴方だけでしょう?」 この手で。 倒す日が来なければ良いと願う。 それと同じくらい。 この手以外に。 倒されるのは嫌だと、俺以外に触れさせるなと。 傷付けさせるなと、願う。 そんな俺が。 敵でしかない、俺が。 隣に立つ資格など、ありはしない。 「俺には隣にいたつもりなど欠片もない」 願いは、したけれど。