渡された包みが何を意味するのか分からなかった。 ビタースイートディ 「ええと、これは」 「チョコレート。あ、友チョコ?」 「友チョコ?」 校内がそわそわしているのは、何となく分かった。 そこかしこで幸せそうな空気、落ち込んでいる空気、それがないまぜになっている。 「とにかく九チャンには渡さなくちゃって。昨日白岐さんと作ったんだよ」 「白岐と?」 「ええ。九龍にはお世話になったから」 自分にチョコレートを渡してくる友人達は穏やかな表情をしている。 さっきみかけた女子は顔を赤らめていた。 ……つまりあれは友チョコというものではないのだろう。 「お世話になると、チョコレート?」 「え? あ、そうじゃなくてね」 「……もしかして今日が何の日だか、知らなかったのかしら」 何かに思い当たったという顔で白岐が自分を見る。 今日……二月十四日……。 「バレンタインデー?」 「ええ。そういえばこういうことをするのは日本だけだったわね」 確かに。 今までの人生でチョコレートを顔を赤らめた女子が渡すという機会に立ち会った記憶が無い。 幼少時に母親にチョコレートを貰ったような記憶が無いではないけれども。 「日本では女性から男性に告白する日、というのがこのイベントに当たるんだ」 「大和」 「海外組はぴんと来ないんだよな。性別は関係なく贈り物をし合う日だから」 友人の説明にやっと納得がいく。 どうやら今日は日本においては特別な日らしい。 「俺は貰うだけで良いの?」 「うん。ホワイトデーーには3倍返しだけどね」 また知らない単語が出てきた。 日本で仕事をする際に必要な最低限の知識は仕入れてきたけれども、こういったことまで必要になるとは。 「来月の同じ日に男性から告白の返事をすると共にお礼返しをするんだ」 「そうなんだ。気長だね、日本の人って」 「俺もそう思う。その日に返事をすれば良いと思うんだけどな」 「二人とも分かってないなー。一ヶ月どきどきしながら過ごすのが良いんだよ! ね、白岐さん」 「そうかもしれないわね」 女心は難しい。大和にもチョコレートを渡して二人は教室を出て行った。 手には紙袋。配って歩くのか。 「で、甲太郎はどうした?」 「面倒臭いから休むって言ってたな。そっか、これのせいなのかな」 「ああ見えて結構もてるからな。九龍は?」 「下駄箱に入ってたり、机の中に入ってたりしたんだけどさ」 正直、誰が作ったのか分からないようなものが口にできるような人間ではない。 既製の品なら良いが、手作りは廃棄処分せざるを得ないだろう。 たとえ真心がこもっていたとしても、身体が受け付けないのだから仕方が無い。 「これってすぐに食べても良いものなの?」 「良いんじゃないか? 帰ってきたら感想を述べておくと更に良いかもな」 「そういうものなの?」 「そういうものさ」 休み時間が来るたびにチョコレートが増えそうだったので、よく知らない相手からのそれは断ることにした。 「すどりんも、作ったの?」 「そうよ! ダーリンに愛を込めたわよ!!」 「今食べても?」 「ええ勿論!」 ほろほろと崩れそうに柔らかいチョコレートを一気に口に放り込む。 大和が好奇の視線を。 製作者が期待の眼差しを俺に向ける。 「……あ、これ美味いかも」 「でしょう? んふふ。夕薙も一つぐらいなら食べても良いわよ?」 「いや、俺は」 「甘くないし変なものも入ってないから大丈夫だよ」 どうぞどうぞと勧め、反応を待つ。 「ああ、確かに美味いな」 「でしょう? 愛の塊ですからね!」 嬉しそうに笑ってすどりんは教室に戻っていった。 そのあとも七瀬やさっちゃんがくれたから、その場で食べる、を繰り返していた。 「おや、顔色が優れないな」 「チョコレートを食べ過ぎました」 「つき合わされまして」 ルイ先生は何か良い匂いのお茶を入れてくれた。 バレンタインデーのチョコレートの代わりに魔除けのお守りをくれた。 「効果の有無は別として。健康を願うものだと思ってくれれば構わない」 「ありがとうございます」 そのあとはヒナ先生からココアをもらって。 チョコレートがちょっと嫌いになりかけて、寮に戻れば。 「匂いが凄いな」 「ああ、ただいま」 「なんだそれは」 「やっちーと白岐から。友チョコ? とか言ってた」 相変わらずだるそうな甲太郎が俺の手元を見て眉をひそめた。 あまり好きそうではないけれど、預かった責任をとりあえず果たしてみる。 「受け取って」 「……断る」 「受け取ってくれないと甲太郎がいかに友達甲斐の無い奴なのか明日延々と語るよ?」 「……ちっ」 舌打ち一回で可愛らしい包みは無事に甲太郎の手に届いた。 ミッションコンプリート。 踵を返して自分の部屋に戻ろうと思ったら襟首を掴まれた。 「甲太郎?」 「お前からは無いのか?」 「何をおっしゃる」 「お前から俺に。無いのか?」 普段は常識だのどうだのというくせに、こういうときに限ってそれは吹っ飛んでいくらしい。 日本生まれの日本育ちのこの男がどの口でチョコレートを俺にねだるのか。 「ありません。あるわけ無いだろ? 今日知ったんだから」 「そうか」 えらくあっさり納得したな、と思えばそのまま部屋の中に引きずり込まれる。 目が合ったのに大和に見捨てられた。 ……チョコレートにつき合わせた恨みがこんなところで晴らされてしまうとは。 「で、どうしろって?」 「ここに座れ」 ベッドの上に腰掛けた甲太郎は自分の足の間を示す。 早く解放されたいときは黙って指示に従いましょう。 経験から裏打ちされた言葉が頭の中をよぎる。 「甲太郎、何かしたいならとっとと」 「これを食わせろ」 「は?」 「食わせろよ、俺に」 手に友チョコを押し付けられて、そのまま向かい合うように座らされる。 腰に回された腕の力は緩みそうに無い。 諦め、という言葉しか浮かびそうも無かった。 「はい、どうぞ」 指先でつまんで口元まで持っていくけれども、その口を開こうとしない。 「甲太郎?」 「お前、普通はそうじゃないだろ?」 指先からチョコレートを奪うと俺の口に挟み込んで、そのまま唇を重ねてくる。 舌先で押し込んだそれを追いかけるように俺の口の中に入ってきた舌は当然のように俺の中をかき乱していく。 「……甲」 「これが恋人同士のバレンタインデーってやつだろ」 「どこがだよ」 満足そうに目を細めた甲太郎は調子に乗ってさっきの行為を繰り返す。 蕩けるチョコレートと一緒に俺の頭も蕩けていく。 これではきっと俺がチョコレートを用意したところで結果は同じだ。 むせ返るほど甘いキスを繰り返して、その日は過ぎていった。 end