Side of BLUE −僕と彼の話−

 「本当に、覚えてないのか?」
 いつもとは比べ物にならないぐらい真摯な光を宿した双眸が。
 射るように強く自分を見つめていて、尚且つ苦しげに紡がれたその言葉に僕は混乱した。
 人気の無い図書館の片隅、誰も来なさそうな百科事典の棚に押し付けられ、僕は恐怖を感じていたのだ。
 「本当に、覚えてないのか。……忍」
 少しの躊躇いの後に、初めて名前で呼ばれて。
 ……怖くて、仕方が無かった。僕には、彼の腕から逃れてその場から走り去ることしか出来なかったのだ。



 いつの間にか屋上まで来てしまっていた。久しぶりに全速力で走った僕はよろめいて、その場にへたり込みそうになる。僅かばかりの余力を振り絞って手すりに凭れかかった。
 とてもじゃないが空を見上げる気力は無い。項垂れて、どこを見るでも無しに視線を宙に彷徨わせていると、いきなり物凄い力で後ろに引っ張られた。
 突然のことに足を滑らせ、一瞬空を仰いだ僕の視界に次に入ってきたのは、僕が逃げ出した元凶だった。
 あらん限りの力で抱きしめられ、さすがに振り解けずにいると、彼の小さな声が聞こえた。
 「……じまうか……った」
 「え?」
 僕を抱きしめている腕が微かに震えているのを感じて、彼を見上げると、彼は俯いていた。
 「死んじまうかと思った」
 いつもなら艶やかなはずのバリトンが、らしくなく抑揚と艶を欠いていた。おまけに語尾は震えている。
 「お前が、俺の腕振り解いて駆け出して、少しショックで、でも追いかけなきゃと思って」
 俯いたまま、彼はぽつりぽつりと話す。僕を抱きしめる腕の力は弱くならず、僕はずっと上を向いたままでいなくてはならなかった。
 「追いついたら、手すりに、凭れてて、下向いてて」
 「自殺するとでも思ったのか? この馬鹿!」
 僕は渾身の力で腕を振り解いて、真っすぐ彼に向き合った。俯いた顔を上げさせる。
 「何で、泣くんだ?」
 僕を見る目は潤んではいなかったけれど。僕はそう思った。涙を流さずにこの男は泣いているんだと。
 「お前を、失うかと思った」
 「な……」
 言葉を失った僕を、今度は前から抱え込み、肩口に顔を埋めて彼は耳元で囁いた。
 「何で、逃げたんだ」
 「……怖かったんだ」
 「俺が?」
 それとも別の何かが、と問い返す彼の声にはいつもの艶が戻ってきていた。けれど大して抑揚はなく、静かなまま。却ってそれが耳に心地良かった。
 「分からない。多分、お前の目が怖かったんだ。あんな、目で見るから」
 見られただけで、身体に熱を灯されるような不思議な目で僕を見るから。
 それが何による熱なのか、分からされるのが怖かったから。
 「お前さ、本当に覚えてないのか? 俺と初めて逢ったときのこと」
 それはさっきも訊かれたことだった。僕はさっきと同じように答えるしかない。
 「中学校の入学式の日。同じクラスで」
 「……その前に一回逢ってる。本当に、覚えてないのか?」
 縋るように効かれても、本当に何も覚えていない僕には答えようが無かった。ゆるゆると首を振ることしか出来ない。
 「入試のとき、隣の席で試験直前になってペンケースの中身をぶちまけた奴がいたんだ」
 「入試? 中学校の?」
 「そう。そいつ、見てるほうまで緊張するぐらいカチカチになってて、何かやるかも、とか思ってたらそれだ。一瞬、何が起きたのか理解出来なかったみたいで、俺が中身拾って返したらさ、すげぇほっとしたみたいで。『ありがとう』ってめっちゃ可愛い顔で笑って」
 「……それ、もしかして」
 「もしかしなくてもお前だよ。ペンケースに名前書いてあっただろ? ずっと覚えてたんだ」
 言うと彼は僕の頬を両手で挟んで、こつん、と額を合わせた。
 「それなのにお前は『初めまして』だぞ。本当に泣きたくなったんだからな」
 「ごめん」
 「謝るなよ。空しくなるから。それより、もう一つ訊きたいことがあるんだけど?」
 不意に、彼の声が低く掠れたような気がした。
 「ずっと、お前の傍にいていいか?」
 「え……?」
 中学校の三年間クラスがずっと一緒で。高校に入学してからもそれは同じで。今もこうやって二人でいるのに何でそんなことを訊かれるのか。僕には今一つ理解が出来なかった。
 僕の頭上に三つぐらいクエスチョンマークが浮かんでいるのが見えたのか、くす、と笑って彼が僕の左手を取る。
 「つまり、こう言うことだ」
 言って、彼は僕の手の甲に口付けた。
 あわててその手を引っ込めようとしても、彼は放してくれない。寧ろその行動は逆効果だったようで、彼は僕を引き寄せると自分の胸の中に抱きこんだ。
 「やっ、冗談だろ。放して」
 「冗談でこんなことする奴がいると思ってるのか? 嫌なら嫌って言ってくれればもう二度とこんな真似はしないから。教えてくれ。お前の気持ち」
 顎を捕らえられて、無理矢理上を向かされる。
 さっき図書館で見たあの強い光がまた彼の目の中に宿っていた。
 「分からない……なんで、そんな目で僕を見るんだよ」
 「お前が好きだからだ」
 言われた言葉に僕は全く反応できなかった。瞬間、彼の目に宿っていた光に対する恐怖が霧散して、代わりに言いようの無い想いが僕の胸を埋め尽くす。
 「僕が、好き? 土岐が?」
 「分かってないのか? 分かるまで何度でも言ってやる。俺はお前が好きだ。初めて逢った、あの日からずっと」
 「ずっと……?」
 三年以上も、ずっとそんな想いを抱えていた?
 「答えて、くれないか」
 僕の顎から指を外して、再び俯いた彼が懇願するように呟く。
 ……こんな彼は初めて見た。いつも自信に溢れていて、行動的で。僕はそんな彼をずっとライバル視していたのに。
 負けるものか、いつか追い越してやる、とずっと思っていたのに。
 (僕も、ずっとそうだった?)
 三年以上、僕も彼に対してそんな思いを抱えていた?
 「僕も……そうだったんだ」
 「忍? 本当に?」
 がばっと頭を上げて、彼……土岐が僕の顎をそっと上向かせる。
 「目、閉じて」 
 何のことだか分からなくて、でも逆らい難いものを感じた僕はその言葉に素直に従って目を閉じた。
 「一生、離さないから」
 誓いの言葉を捧げるように呟いて、土岐は……何と僕にあろう事かキスをしたのだ。
 「なっ! なっ……!」
 僕が慌てて飛び退くと、背中にがっちり腕を回され逃げられないように抱きしめられる。
 「お前、どうしてキスなんか!」
 「? 普通恋人同士ならするだろう? もしかしてファーストキスはもっとムードのある所の方が良かった、とか言うんじゃないだろうな」
 「こっ、恋人同士? 誰と誰が!」
 「勿論俺とお前だ。愛してるぞ、しの。時間も余ってることだし早速」
 そう言うと、土岐は僕のブレザーに手をかけ、あっさりと脱がせた。あっという間にネクタイも緩められ、既に指はシャツの第一ボタンに掛かっていた。
 「何考えてるんだ! ここは学校なんだぞ!」
 「滅多に屋上に人は来ないぞ。何、鍵は閉めておいたから誰も入ってこない。気にするな」
 「気にするに決まってるだろうが! なっ、ちょっとやめ……んっ……」
 ぎゃいぎゃい喚く僕をしっかりとキスで封じて、土岐はそそくさと僕のシャツを脱がせていた。
 「安心しろ。帰りは送っていくから」
 「そういう問題じゃなーい!!」
 僕の絶叫はまたしても土岐の唇に塞がれたのだった。



後書きと言う名の言い訳
はい。パソコンの容量を少しでも軽くしようという事で。
 本体に入れっぱなしで忘れていたものシリーズを再アップ。
 これは探偵部シリーズの話なのですが。
 ……いつになったら探偵らしい事をするのでしょうか。謎です。

 20040310
再アップ20080207