力強く俺の名を呼んでくれた声が在ったこと。 その声のおかげで、俺は俺に戻れたこと。 僕の名前を呼んで 「夷澤君」 気安く声をかけられる。 以前だったらいつも何か張り詰めていて声をかけられなかった、と。 そう言っていたはずのクラスメート。 「何……ああ、センパイ」 ひらひらと教室の入り口から少し離れたところで手を振る人。 その後ろには不機嫌極まりない目つきで俺を睨みつける男。 「何か?」 「特に用は無いけど、通りかかったから」 にこりと邪気の無い笑みを浮かべて、手を出して、と言う。 首を傾げつつも正直に手を出せば、手首を掴んで手のひらを上に向けさせる。 落とされたのは、白い。 「……センパイ?」 直方体の。 「お土産」 「そりゃどうも!」 牛乳の、パック。 自分の身長は棚に上げているのか。 それとも俺にはカルシウムが常に不足しているとでも言いたいのか。 「五葉も、おいで」 「は、はい」 いつもおどおどしているばかりのクラスメートは嬉しそうに笑うと駆け寄ってくる。 駆け寄ってくるさまを見て、笑みを浮かべる。 「五葉には、これ」 はい、と手渡したのはピンクの直方体。 「五葉って、こっちだよね」 「はい! ありがとうございます」 いちごみるく、と見るからに甘ったるそうなパッケージのそれを。 大事そうに両手で包み込むように持つ。 開けてもいないのに甘い空気が漂う錯覚に陥る。 「それじゃ」 本当にこれを渡しに来ただけなのか、返される踵。 手を伸ばしかけて。 「またな、凍也」 振り返って笑うと、頭に手が伸ばされた。 髪の毛が乱れるからといつも言っているのに。 ぐしゃぐしゃと、かきまぜられる髪。 『凍也、夷澤凍也!』 あの時とは違う。 けれども同じように名前を。 「九龍」 「分かってるって。じゃ、また」 突き刺さるように向けられる視線の主に、同じぐらいきつい視線を返す。 ……分かってる。 分かってるんだ、俺の手とあの人の手が繋がれないことぐらい。 だから。 その代わりに。 名前を、呼んで欲しい。 end