貴方は、どうして。 ねえ 見慣れてしまった、というべきか。 守られ慣れてしまった、というべきか。 「あら? 授業には出ないの?」 「……ああ、さっちゃんか。うん、今日はちょっとね」 授業の始まりを告げるベルが鳴る少し前。 教室がある方向とは明らかに違う方向に向かおうとしている見知った背中に、つい。 声を、かけて。 「皆守は一緒じゃないの?」 あるべき姿がないことを不思議に思いつつ、聞けば。 「いつだって一緒とは限らないよ?」 「そうかしら。いつも一緒に行動しているところしか見た記憶がないけど」 「甲太郎はふらっとどっかに行っちゃったよ」 いつでも柔らかい笑みが、ほんの少しだけ翳っているように見えて。 「じゃあ、あたしがご一緒してもいいかしら?」 「え? 授業は?」 「サボろうとしている人が何を言うの? ほら、行きましょう」 いつもは力強く誰かの手を引くその手を。 あたしが引いて、連れ出した。 「たまには屋上も良いわね。まぁ、貴方はいつもでしょうけど」 「そう、だね」 風もなく、空は澄み渡り。 小春日和、といいたくなるような。 そんな、穏やかな陽気なのに、九龍の顔は一向に晴れない。 「恋煩いでもしてるみたいだわ、九龍」 「え?」 「そうよ、こういう開放的な空間では恋バナをするものよ」 「さっちゃん?」 「この学園の人間で貴方に惹かれないような人はいないと思うけれど。 貴方をそんな顔にさせるのは、一体誰なのかしら?」 柵に程近く、校庭が見下ろせる位置に座り込んで手招きをすれば。 小さく笑って隣に腰を下ろす。 「そんなにもてそうに見える?」 「自覚がないの?」 自由の匂いがする、とこの人を喩えたのは朱堂ちゃん。 あの時は分からなかったけれど、呪いから解放された今ならはっきり分かる。 この人は、自由そのもの。 「もてるって言うのはさっちゃんのことを言うんじゃないの?」 「あたしは見た目しか見られてないわよ」 「中身も見てくれるから、阿門が好きなんだね」 見るものを穏やかな気持ちにさせる笑顔。 あの方への想いとは違う思いが胸に溢れる。 「……あたしにばっかり言わせて。九龍はどうなのよ」 「俺? そんな素敵な恋の話なんてないなぁ」 「誤魔化そうとしたって無駄よ。女の勘は鋭いんだから」 非難を込めた目で見つめれば、諦めたようなため息を一つ。 「俺はさ、いつだって片想いなんだよ」 「片想い?」 「初めて好きになった人が、想いを告げる前に亡くなっちゃってね。 だから、あんな辛い目に遭うぐらいならさっさと告白すれば良いって思うんだけど」 「だけど?」 「……駄目なんだよね、結局。俺もいつ死ぬか分からない身の上だからさ」 最後は囁くような小さな声で。 伝えた後に、俺が死んだら相手がずっと俺を引きずっちゃうかもしれないから、と。 呟きが届いた瞬間に、あたしは九龍の手を握っていた。 無骨な武器を振るうくせに、思いがけず繊細な手を。 「馬鹿ね、九龍」 「うん」 「だけど好きよ」 「ありがとう」 ねえ、もしあたしが貴方を好きな人間を知ってるって言ったら貴方はどうするかしら。 ねぇ、もし貴方の今の告白をそいつが聞いていたら貴方は。 そしてあいつはどうするかしら。 屋上についた瞬間に私の鼻が嗅ぎ取った僅かなあの香りの存在を。 告げぬままにあたしは九龍の頭を撫でた。 end