色褪せた写真は要らなくなった。 とりあえずキスから始めよう 「九龍。いるんだろ、開けてくれ」 遺跡が、崩れた。 生きる意味は無いと思った。 せめてもの償いにあの瓦礫と共に果てようと思った。 けれども、救われた。 俺も、あいつも。 そして、殴られた。 俺も、あいつも。 涙をぼろぼろ零した、九龍に殴られた。 『罪なんてのはな、生きてるから償えるんだ。死んだら何にも意味が無いんだ!』 言われてすぐには理解できなかった。 あいつが寮のほうへと走り去って。 双樹や神鳳に囲まれて。 『あんた達本物の馬鹿だったんですね』 夷澤に吐き捨てるように言われて。 『……本当に愚かだったのは、貴方達だったようね』 白岐にも、冷たく言われ。 『馬鹿!』 それを捨て台詞に慌てて九龍を追いかけていった八千穂。 自分がしたことが、しようとしたことが。 あの女と同じだったと、気付いて。 駆け出した、ものの。 九龍の部屋の灯りは点いていなかった。 あれから一週間。 同じ寮で暮らしているというのに、九龍を見たという情報は誰の耳にも入らなかった。 けれども、さっき。 隣の部屋で、気配がした。 いてもたってもいられず、飛び出して。 扉をノックし続けた。 「九龍、頼む」 「おや、皆守君」 「……黒塚」 「漸く自分から動く気になったのかい?」 「……何?」 何に属するでも何に縛られるでもない、この男。 「博士、入るよ」 「おい」 「ここじゃ目立って仕方が無い。注目を浴びるのは好きじゃなかったはずだよね」 開いているのが当然だと言わんばかりに、ノブを捻り。 躊躇うことなく、部屋の中に入る。 「黒塚……」 「種明かしをしてあげて良いかな?」 「どういうことだ」 久しぶりに見る九龍は僅かにやつれていたけれども、これといって体調不良でもなかったようで安心する。 「簡単なことだよ、皆守甲太郎。彼はずっと僕の部屋にいた。だから誰も彼を見なかった。こういうことさ」 顔色一つ変えずに言う黒塚に、思わず手が伸びていた。 「お前」 「君に彼の居場所を聞かれたけれど、僕は知らないとは言わなかったよ。知っているとも言わなかったけれどね」 「……何故だ」 「それを聞く権利が君にあるとでも?」 言い切った眼鏡の奥の双眸は冷え切っていて。 掴んだ胸倉から、手を引かざるを得なかった。 「黒塚、もう、良い」 「君がそういうのなら。もう、大丈夫だね」 「うん。ありがとう、黒塚」 「構わないよ。僕が好意でしたことだからね」 じゃあ、と去り際に黒塚が九龍に向けた笑みを見て、胸が軋んだ。 自分も抱えていた、想い。 今となっては、伝えたところでどうしようもない想い。 「九龍」 「何?」 「その、あのときは」 「悪かったとでも? それで俺がもう良いよ分かったからとか言うとでも?」 俺を見上げるのは深い蒼。 静かな怒りを湛えた、美しい色。 「そんな言葉じゃ、償えないと分かっている」 「じゃあ、何」 「……あの写真を、返してくれないか」 「ああ……はい」 別に今の今までこれをどうしようとかこれがあるからだとか。 そういう考えは無かった。 けれども、気が付いたら。 「ちょ、甲太郎!」 「何だ?」 「何だ? はこっちだ。これ、甲太郎の大切なものだろ!? 何してんだよ」 1枚が2枚に、2枚が4枚に、4枚が8枚に……。 紙吹雪と化していた、写真。 「これは、もう、良いんだ」 「何が」 「結局俺はこいつと変わらなかった」 「甲」 「愚かだった。間違いなく。俺も、阿門も」 無駄な自己犠牲ほど腹が立つものはありませんよ、と神鳳に言われた。 腹が立ったのは、図星でしかなかったからだ。 「お前を、傷つけた。嘘をついた。泣かせた」 すまない、と。 そんな言葉で、贖えるとは思っていない。 けれどそれ以外の言葉を知らない。 「本当にすま」 「謝ったら一生許さないよ」 「九龍」 「他の言葉なら、聞いてやる」 俺には。 そんな、資格は。 無いのに。 謝罪以外の言葉を。 伝えたくても、伝えることができなかった、言葉を。 口に出すことは、許されないのに。 「……無いんなら、良い。出て行ってくれ」 不意に逸らされた目に拒絶を感じ取って、手を伸ばした。 触れる寸前で、躊躇って、けれども振り払って、抱き寄せる。 「愛、してる」 恋じゃ、足りない。 「愛してる」 好きじゃ、足りない。 「愛してる」 お前じゃなきゃ、いらない。 「……馬鹿だ、甲太郎」 「ああ」 「キスもできないまんま、終わるところだったじゃないか」 「……ああ」 今までは、ずっと。 眠っているお前の唇に勝手に触れていた、なんて。 それだけで、満足していた、なんて。 「して、良いか?」 「……聞くな、馬鹿」 除夜の鐘を遠くに聞きながら、初めてキスをした。 end