親愛の情を伝える手段としては些か方向性が間違っているんじゃないかというか、前提がなんか間違ってないかと突っ込んでやりたくなるほどバカらしい「それ」は。 日常だと思い込んでいた当たり障りのないごく普通の「それ」を。 ……よりによってあいつが耳にしてしまったことから始まってしまった。 honey? honey. Honey! 色とりどりで形もさまざま。きらきらと光っているように見えなくもないそれをわざわざ保冷バッグから取り出したのは浜田で。 ラップにくるんだだけの簡素な包みに目を輝かせたのは隣と真正面の小動物二匹。 「じゃじゃーん!」 「なあこれ何?」 「グミ、手作りしてみましたー」 てへ、と笑っても可愛くない。 視線で突っ込んでから手元を見やる。 「なかなか美味くできたんだぜ」 包みを一つずつ田島と三橋に与えて、少し小さいのを俺にも寄越す。 「食っていい?」 「おう!」 聞くや否や早速手をつける田島とは対照的に。 きらきらと尊敬の眼差しで浜田とグミを交互に見上げる三橋。 ああ、これは。 「ハマ、ちゃん、すごい!」 「へへー。あんがとなー、三橋。さ、食ってみ食ってみ」 微笑ましい兄弟劇場開幕。 一つ摘み上げてぽかんと開いたままの口に放り込めば、劇場終了。 もきゅもきゅと三橋らしい効果音が聞こえるのは俺だけではないらしい。グミをもきゅもきゅと噛んだ三橋の表情がふにゃりと綻んだ。 兄弟よりこっちの方が良いよな。 「お、いし!」 「だとよ」 別に甘いものは嫌いじゃない。好きなほうに入るだろうと思う。特に練習の後には積極的に摂取しようとも思う。 だがしかし二人の包みが些か大きいというか巨大という範疇に含まれるだけで俺が貰ったのは普通サイズだと思う。 がしかし、万年欠食児童たちが放課後まで大事に取っておくとも思えない。 一つ口にして零れないように包み直しておく。放課後の食料にするためだ。 俺のに限定できず、大半が小動物二匹に消費される運命を辿るのにはもう慣れた。 「で? 何ゆえに自家製?」 「いやー、これが見たくって!」 にこにこというかにやにやというか蕩けきった表情でこれまた幸せそうに蕩けてる三橋を見る浜田。 「既製品じゃない理由は……ああ、良いぞ話さなくて。むしろ黙れ」 「泉ひでぇ!」 さっきのきらきらで間違いない。 「いや、さっきの兄弟劇場は訂正しておくべきだなと思っただけだ」 口の中で溶けていくオレンジの甘みは悪くない。 さて次は何が繰り出されるのか知らないが、まあ、尊敬ビームを浴びたいだけなら放置でも構わないだろう。 と思ったのがそもそも間違いだった。 絶対に傍観者でいようと思わせる馬鹿な話が始まってしまうとは。 「い、ずみ、くん?」 ――こいつが絡んでる限りオブザーバーでもいられない、か。 「何でもない。食うだけ食ったらちょっとでも寝とけよ? 授業中じゃなくて休み時間にな」 「う、ん!」 お兄ちゃんってのも、なあ。まあ浜田がお兄ちゃんポジションなのは疑うべくも無いことだからもう黙認されているけれども。 「ハマ、ちゃん。あ、後で皆、にも、あげて、良い、ですか?」 「おー。お前にやったんだから好きにしちゃって良いよ」 ……兄ちゃんポジションじゃないところ狙いたいよなあ。どうせなら。 なーんか甘い匂いが、する。コロンとかシャンプーとかそういうんじゃなくて、甘い。 鼻をひくひくさせて匂いの発生源を探れば。 「……俺に胸きゅんどっきりな展開ってないのかな」 「は? なんだいきなり」 「花井から甘い匂いがしても全然可愛くないってこと!」 坊主頭の同級生が発生源でもときめきかないよね。全然嬉しくないよね。 あ、でも三橋には似合うかも。バニラエッセンスのあまーい匂い。ふわふわしててぴったりじゃない? 可愛いよねー。 「甘い匂い……ああ、妹たちがクッキー焼いてたんだよ」 ほれ、と差し出されたのは紙袋。かさかさと中身が入ってる音がした。 「はーないー!」 「うっわ、田島って絶対に食べ物レーダーついてるよね」 「否定はしない」 食いものー! と突進してくる田島の後ろに三橋と泉。 三橋がくっ付いてくるのはいつものことっていうか田島に引きずられてくるのがいつものことなんだけど。 「珍しーね、泉」 「あー、なんとなくな」 これまた珍しく歯切れが悪いな、と思ったのも束の間。 「水谷、あれは?」 「あー、花井の妹さんたちが作ったとかって」 「……へえ」 きらり、と面白いものを発見したみたいに目が輝いた。 「ああそうだ。お前も食う?」 「? グミ?」 「浜田が作ったって。美味いから皆にもってあの三橋が言いだしっぺ」 泉の手の中に確かにグミらしきもの。……小器用だなー、浜田って。 新しい食べ物の匂いを嗅ぎつけて本来の目的を忘れたらしい田島の「食っていい?」攻撃と三橋の「すごい人」光線を浴びた花井は紙袋を丸々提供。 男前だなー。 「三橋。そっちじゃないだろ」 「お、あ、花井、くん、お裾、わけ、です」 「いいぞ別に。食っちまえ?」 「う、でも」 「……ありがとな」 笑顔で三橋の髪かき混ぜて、遠慮しないでそれ食っちゃいな、って。 おー、なんか良い雰囲気。これだよ俺が求めてたのはさーって。 「あの、阿部さん。俺の足を踏むのはどうなんでしょう」 「あ?」 そうだよね、この人同じクラスにいるんだったよね! 「浜田がグミ作ったんだって。んで花井のクッキーと交換?」 みたいになってるよね? 「……手作り菓子か」 「え、阿部どこ行くの」 「図書室」 くくく、って不気味な笑い声を上げながら猛然と図書室の方に向かって走って行っちゃったよ、阿部。 「泉、なんか今物騒な台詞が聞こえなかった?」 「空耳だと思わせてくれ」 「絵面を想像するだけで破壊力抜群なんですけど、泉さん。あれほっといて、大丈夫だと思う?」 だって、阿部が手作りのお菓子って。作り方の本を探しに図書室って。 似合わないにも程があるっていうか、視覚への暴力っていうか! 「第一の犠牲者は間違いなくお前だな」 「ぎゃー」 「安心しろ。三橋は俺が守ってやるから。気が向いたら骨も拾っとく」 ぽんって俺の肩を叩く泉は妙に男前。って感心してる場合じゃない! 「それ安心できないから! むしろ気になって浮かばれないから絶対! どうすんのあれ!」 止めないと、俺の胃が危ない。んだけど止めるとなんか他のところがやばくなりそうな気がする。 ……どうすんの俺! 三橋の安全のために屍になっておくべき? それで気遣われるとかそういう展開が待っててくれるんなら良いよ? でももうお気遣いの紳士がいるじゃんさ! 倒れ損じゃん九割方! 「巣山、あのシュールな光景って見て見ぬふりをするのと積極的に参加をするのとどっちが良いと思う?」 「そんな同じ馬鹿なら踊らにゃ損みたいな選択を俺にしろと?」 掃除当番じゃないと早めに部室に着けるなあ、でも今日は残念なことにミーティングだねと。 巣山とのんびり会話をしながら扉を開けて即座に閉めた。 阿部が。あの阿部が。鼻歌を歌いながら『手作りお菓子レシピ』なる本を読んでいた。 折り畳み傘か置き傘をしてたっけ? 槍が降らないと良いなぁ。 「第三の選択肢として笑い話のネタにするっていうのもあるけど」 「……第四の選択肢として状況説明をしてもらってからってのがありそうだな」 何事も無かったかのようにUターンをしかけたところで 「俺はこの中で起きてることを知ってるんです是非とも理由を聞いて下さいてか聞いて!」 という顔の水谷が駆け寄ってきた。 その後ろには花井と九組トリオ。もっと後ろには三組コンビ。ミーティングの内容が阿部になるのは嫌だなぁと思いつつ巣山と顔を見合わす。 「見て見ぬふりは選択肢から除外されたみたいだね」 「栄口ー! 巣山ー!」 「聞こえてるから叫ばなくて良いぞ水谷。……泉、お前もなんか知ってるな?」 「知ってるも何も。ま、とりあえず面白い絵面なんだろ?」 事情を知っている上でこの状況を楽しんでいるらしい泉と正反対の水谷。 なんかもういつものように疲れ果ててる花井がいっそ哀れというか吹っ切って参加しちゃえば良いのになと思いながら、俺も吹っ切ってもう一度扉を開けた。 何を想像してるんだか予想が付くところが嫌だけど、にやにやと笑ってる阿部が読んでるのはやっぱりどこをどう見てもお菓子の作り方の本だ。 何がどう間違ってあそこに行き着いちゃったんだか。 「阿部は後にしてとりあえずミーティングをさせてくれ」 何はともあれ花井の胃に穴が開ける手伝いをするのは止めておこうと、副主将の仕事をきっちりすることにした。 なんか今日も甘い匂いがする気が、する。 バニラエッセンスの、女の子からしてたら胸きゅんここから始まるときめき青春グラフィティ! みたいな匂いが、さ。 「……ええと、阿部君?」 「食え」 「はい……」 阿部からしたら胸じゃなくて胃が痛いよね! 違う意味で切ないよね! 腹も痛くなったらどうしてくれようかしらね!! 「一つ聞いて良い?」 「何だよ」 「これ、何?」 クッキーにしては白いし。きつね色っていうの? その気配が全然無いんだけど。 「クッキーだろ」 食え、と突き出されたものを一枚。 受け取って半分にしたものを更に半分にして恐る恐る口に入れて。 「み、水谷、無事、か?」 黙って俺と阿部を見守っていた花井を恨みがましい目で見上げ。 「…………俺の知ってるクッキーは、こんなんじゃ、な、い」 残りを花井に預けて戦線離脱。 ごめん、三橋。 俺、防波堤になれないわ。 「なー、それ食い物?」 「じゃないから食うな」 「そうなのか?」 「水谷が沈んだ一品だ。……泉、栄口、楽しんでないで状況を俺に説明してくれ」 ここ数日怪しいというか、奇妙というか、まあぶっちゃけたところ。 「阿部がああなってる理由、知ってるんだろ?」 「花井にも責任の一端はある」 「な」 「まぁまぁ。この間三橋とお菓子の交換しただろ? あれ」 「……は?」 水谷が沈んだ食べ物らしきものを食す気には全くなれないが、それとこの間とどういう関係が。 …………ある、のか。 「浜田に対抗意識燃やすのはまぁアリとしても、お前もそのターゲットに入っちゃったんだわ」 「や、嘘だろ?」 「嘘であの阿部がお菓子作りしちゃうと思うわけ、花井は」 「…………誤解、解かなくて良いんだよな、楽しんでるもんな、お前ら」 「「おう!」」 ああでも部長として阿部の暴挙を止めない限り次は人が良い沖や西広が犠牲者になってしまうに違いない。 というか水谷の次は間違いなく俺だ。ターゲットは俺にされてしまう。 どうしたものか……。 「てか三橋に食わせりゃ良いじゃん」 「あー、それが一番早そうだけどなあ」 「水谷が沈んだようなもの、食べさせたくないね」 「だってそーすりゃゲンジツ見られるじゃんか、ゲンミツに!」 とりあえず、被害は甚大かもしれないがいわゆるショック療法という選択肢を選んでみたのだった。 「……あ、の、阿部?」 「分かった。俺には向いていない。菓子作りは向いていない」 「分かってくれて良かったよ」 三橋に食べさせるよりも阿部に食べさせた方が被害は少ないと踏んだ泉・栄口の発案により。 三橋の手ずからクッキーなりそこない食べ物ではないものを口にした阿部は、敗北を認めた。 ……ってゆーか。 「俺って菓子作っても良いの?」 「お前が作るのが良いんじゃないの?」 良く分からないけどきっかけは俺だったらしい。 で、良く分かんないまんま阿部は俺に負けたらしい。 本当になんだったんだか良く分かんないけども。 「ハマちゃん、の、作る、のが、一番、美味しい、よ!」 「へへー」 三橋専用パティシエの座は、守ることができたらしいのは確かだった。