血の気が、引いた。 落とし物はありませんか 周囲からあまり理解が得られる趣味ではないらしいということは重々承知している。 肌身離さず持っていたいと。 今日だけはどうしても持ち歩いていたいと。 ポケットに入れていたはずなのに……! 「黒塚?」 「あ、ああ、博士」 「顔色が悪い。どうかしたか?」 気遣わしげに見上げてくる蒼が今日ばかりはとても痛い。 「実は、大切な石を落としたみたいなんだ」 「石を? その紫水晶以外に持ち歩くのは珍しいね」 ケースの上から触れるとアメジストの歓喜の声が耳に届く。 ああ、この子の声はこんなにもはっきり聞こえるのに。 「どうしても、持ち歩いていたくてね。けれど」 「落としたって気付いたのはいつ?」 「……体育の前までは、確実に持っていたんだ」 「更衣室は?」 「真っ先に確かめたよ」 はぁ、とため息が零れかけたのを人差し指でせき止められた。 一見優美な、けれども細い傷が走る指。 「幸せが逃げる」 きつい語調で断言すると、てのひら全体が頬に触れた。 「博士?」 「失せもの探しは俺の得意分野だよ」 任せて、と微笑むのにつられて僅かばかりの笑みを浮かべる。 そのまま頬に手をやって指貫グローブに包まれた手を取った。 「お願いするよ、《宝探し屋》さん」 「報酬を楽しみに頑張らせてもらうよ」 遺跡に潜るときと同じ光を宿した《宝探し屋》が僕の目の前にいた。 「黒塚」 授業が終わって寮に戻った後。 コンコン、というノックの後に僕の名を読んだのは 「博士」 いつものように穏やかな笑みを浮かべた博士だったけれども。 双眸には未だ強い光が残っていて。 「手を出して」 言われたままに差し出したてのひらの上に人肌の温もり。 円やかな感触。 「ミッションコンプリート、でしょう?」 光の具合で黒と紛うほどの蒼から鮮やかな空の蒼へと色を変える、石が。 この手に、戻ってきた。 「ありがとう、博士」 「どういたしまして。でもタダじゃないよ?」 くすくすと笑う博士に勿論と頷き返して問い返す。 「何を報酬にすれば良いのかな?」 ぎゅうと握りこんだこの石だけは何も語らない。 声を持たない。 自ら放つその色だけで全てを伝えてくれる、石。 「名前、呼んでよ」 「名前?」 「そう。俺の名前を呼んで」 「……それが、君の望む報酬なのかい?」 「そうだよ。別に金である必要は無いだろう?」 きらきらと輝くのは好奇心で満たされている証。 さて、どうやって応えたものか。 「今だけ呼べば良いのかい?」 「これからずっと」 「ずっと?」 「そう、ずっと」 実に楽しそうなのは良いけれど。 感謝の気持ちを示すべきだと分かっているけれど。 僕を恥ずかしがらせたいというのは、理解しかねるよ。 「九龍」 「っ」 「九龍」 耳元に唇を寄せて囁く。 ねえ、いつもこんな風に呼んで欲しいのかな? 「お、まっ」 「この報酬はお気に召さなかったのかな?」 羞恥で顔を赤く染めるのなんて滅多に見られない表情。 それを暴けたということは、僕にも才能があるのかもしれないね。 「もう、良い」 「他に用意しようか?」 「……どうして、その石を持ち歩きたかったのか、その理由」 目を合わせてくれないままの君にこれを言ってしまったら。 今度は手を出されてしまうだろうか。 「黒塚?」 「初めて君と行ったときに見つけた、君の目みたいな石だからだよ」 「……っ、そういう、ことを」 「いつでも君を思っているという証だからね。本当にありがとう、博士」 振り上げられそうになった手を掴んでその甲に口づけを落として。 「おやすみ」 扉を壊されなかったのは、幸いだった。 end