ラルゴとアレグロのあいだ rosso

 02 
 憑物のお医者さん





 「まーいっ!」
 「おかえり、灯」
 「ただいま! きゃー久しぶり! 元気だった?」
 「ああ。灯も元気みたいだな」

 ふわふわと柔らかい素材のスカートの裾を翻して駆け寄ってきた美少女。
 もとい親友の灯。

 「ね、着いた早々悪いんだけど色々案内してもらって良い?」
 「私は構わないが、疲れないか?」
 「私なら大丈夫よ。向こうの友達に京都土産を色々ねだられちゃったの。付き合ってね」

 付き合ってくれる? ではなく付き合って。
 灯は初対面の人間、特に同性に妬まれることが多いのだがこれもその理由の一つなのかもしれない。
 まぁ、異性は灯の外見にばかり囚われて、この一見わがままじみた行いすら可愛いと思うのかもしれないが。

 「食べ物じゃなくてアクセサリーみたいなのが良いのよね」
 
 はっきり言って自分から動くのが億劫でしかない私にとって、こういう風に自己主張が激しく。
 その上振り回してくれる友人というのは全くわがままなお嬢様面のええかっこしいではない。
 いっそ見ていて爽快だ。

 「和柄の小物が置いてある店にするか?」
 「うん!」

 以前小さい頃の写真を見せてもらったことがあるのだが、あれは実に面白いものだった。
 日本人形と称されることが多い私と正反対な子供。
 ふわふわのきらきらでくるくる。
 西洋人形とは灯を指す言葉に違いないとあの頃の私は心から思ったものだ。

 「でもその前に食事ね。腹が減っては戦が出来ないわ」
 「同感だ」

 見てくれに反してきびきび派の灯とのんびりな私。
 そういえば中高の頃は二人で一人扱いをされていたような。

 「ほら、ぼーっとしないの。お昼ごはんが私たちを待ってるわ」

 正確には私たちの胃が昼食にありつけるのを待っている、だろうか。
 半ば引きずられるようにして私は京都駅を出たのだった。





 「これ、素敵ね」
 「どれだ? ……懐中時計?」
 
 カリフォルニアの友人の土産を買い込んで一度私の下宿に戻り。
 今度はのんびりと近所を案内していると、一件の古道具屋に辿り着いた。
 黒尽くめの奴が根城にしているというか、ここの店主に気に入られて入り浸っているというか。
 とにかく馴染みの店だ。気の良い店主はお茶とお茶菓子を出してくれた後に奥に引っ込んでしまった。
 ……商売上手ではない。

 「そんなのうちに置いていたかな」
 「記憶に無いんですか?」
 「うーん、たまに蔵の整理だとかそういうのに言ったときにまとめて一山いくら、で買い取ることがあるんだよね」

 やはり商売上手ではない気がする。
 否、もしかしたらその山の中に高価な品を混ぜ込んでいるのだろうか。
 ……そちらの方があり得ない。そんなことをやれる人であるのならば奴が入り浸ることも無い。

 「欲しいわ。売ってくれます?」
 「良いけど、出した覚えが無いから動くかどうか怪しいよ?」

 ちょっと貸して、と灯の手から店主が時計を受け取る。
 モノクルで中を覗き込んで、ふむ、と頷くと灯の手に返した。

 「部品が壊れている様子は無いから多分動くと思うよ」
 「じゃあ買います。いくらですか?」

 かなりの年代物だろうにつやつやと輝く懐中時計。
 値打ち物のように見えるが、店主の記憶には無い品だという。
 
 「500円」
 「「は?」」
 「あ、今あれだっけ? 税込価格が定価になるんだっけ?」

 525円か……端数は面倒臭いから500円で良いや、と。
 言い切る顔に他意は全く無い。
 やはり商売には向いていない。

 「良いんですか?」
 「うん。知り合い価格」
 「知り合いは舞であって私は知り合いじゃないですけど」
 「知り合いの知り合いは知り合いでしょ? あれ? 違った?」

 にこにこと人好きのする笑みを浮かべる店主。
 灯は困ったように私と店主を交互に見ていたが、一つ息を吐くと財布を取り出した。

 「じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
 「いえいえ。こちらこそ思わぬ臨時収入どうもありがとう、だよ」

 人の良い店主に頭を下げながら、今度はやはり近所の甘味処まで足を伸ばす。
 
 「あの人良い人だったわね。でも知り合いってどういうこと?」
 「友人があの店の常連というか、それに近いものなんだ」
 「舞も良く行くの?」
 「そこそこ。それよりもそれ、動かしてみたらどうだ?」

 二人で金魚鉢パフェに挑むことにしたが、まだ到着しない。
 一度奴も誘ってみたのだが、奴は和菓子の方が好きらしくパフェに興味を持ってくれなかった。

 「時間に合わせてから巻けば良いのよね」
 「そうだな」

 二段階に伸びる竜頭を伸ばし、時間を合わせようとするのだが。

 「……動かないわよ?」
 「動かないな」

 長針も短針も全く動く気配を見せない。
 一段階下げて発条を巻くだけにとどめる。

 「動いた、わね」
 「動いたな」

 しかしそこから先はやはり動こうとしない。
 動力を得たのだから短針はともかく長針は進むべきだ。
 なのに五分経っても金魚鉢パフェが届いても、二人で金魚鉢を制覇し終えても動く気配は全く無い。

 「部品に異常は無いって言ってたわよね」
 「ああ」
 「壊れてるってことは無いのよね」
 「あの人はそういう物を売らない」

 これに似た事象を今まで何度か経験したことがある。
 不思議、怪異、という言葉こそその事象を表すのに相応しい。

 「灯」
 「何? 改まった顔しちゃって」
 「一つだけ、思い当たることがある」
 「この時計に対して? それともこの時計がこうだという原因に対して?」
 「後者だ。多分、友人が直せる」
 「これを? 時計屋さんの友達がいるの?」

 首を横に振る。
 不思議、は奴の手にかかれば不思議ではなくなる。
 だがしかし奴の家はどこだったか。あの店か大学でしか顔を合わさないから知らない。
 呼び出せば良いのだろうが、気がかりが一つ。

 「灯、一人紹介したい友人がいる」
 「だから何なの、その真面目な顔は」
 「……お前とは、馬が合わないかもしれない」
 「そんな人と知り合いになってどうしろっていうの?」
 「でもそいつなら、これが直せる。多分」

 奴は灯からすれば変人以外の何者でもないだろう。
 友人の私だってたまにそう思う。いや、結構そう思う。
 でも、こういうことに対して奴以上の手腕を持つ者を私は知らない。
 存在もしないだろうと思う。

 「じゃあ、良いわ」
 
 灯の返事に携帯を取り出す。
 飲食店で携帯を取り出すことがマナー違反だということは重々承知の上だが、そこは金魚鉢を倒したということで多めに見てもらおう。

 コール音二回。
 いつもきっちりその回数で奴の声が耳に届く。
 低く艶やかなバリトン。傲慢な口調。

 『何を拾った、舞』
 
 高槻悠理。
 それが、私の友人の名前。