冬色
 長く節くれ立った指の先は既に黄色に染まりきっている。
 暇があれば、否、手の届く範囲にそれがあればいつまでも食べているのだ。当然のことと思えた。
 「土方さん、手、黄色いですよ?」
 「気にするな。市村」
 常であればさらりと流すはずも無い沖田のからかいに耳を貸そうともせず、手を差し出して市村に蜜柑を催促する。
 「先生、一日三個を限度にするという約束だったのではなかったのですか?」
 つい先日「このままでは仕事に差支えがあるから一日に三個以上俺に蜜柑を渡すな」と自分に言ったのはどこの誰だったのであろうか。
 発言した本人は本日既に五個の蜜柑を食し終えていた。
 「健康に良いのだろう? そう聞いた」
 常ならば蜜柑の筋を一房一房取っていく手には筆が握られていなければならないはずなのだが、今日は墨を磨れと言われた覚えも無い。よって茶を入れた覚えも無いのだ。
 ほら寄越せ、と差し出された手に乗せたのは蜜柑ではなく未読の書類の山。
 土方は眉を顰めて市村を見た。その動きにつられるようにして沖田も。
 「いくら身体に良くとも食べ過ぎは身体に良くありません。寧ろ毒になるんですよ?」
 手もこんなに黄色く染めて、と常ならばにこやかに笑んで自分の傍らに控えている少年に睨まれ、土方は沖田に目顔で助けを求めた。
 が、掴み所のない笑みを浮かべ自分と市村の顔を見比べているこの青年にいくら縋ったところで事態が好転するはずがあるわけも無い。
 ここは一先ず素直に謝り、市村の機嫌を直してからもう一度催促してみようと思ったとき、土方の私室の戸が騒々しく開かれた。
 「「土方さーんっ!! 蜜柑持ってきましたよーっ!!」」
 永倉と原田が籠一杯に蜜柑を持ってきたのだ、ということが分かったのは
 「失礼します」
 と静かに市村が座を辞してからだった。
 何が楽しかったのかえらくはしゃいでいた永倉と原田も土方の様子を見、ついで沖田を見、その間にいるはずの市村の姿が無いことに気付きさっと蒼褪めた。
 「市村君は?」
 恐る恐る訊いた永倉に向けられたのは、人を斬る時の土方のそれであった。
 「これ、持って帰りますか?」
 流石に不味い、と楽天家の原田でさえ思ったのか、蜜柑の入った籠を担ぎ上げる。
 頷いた土方の顔が一瞬悲しそうだった、と後日沖田は市村にそっと告げ口したらしい。
 「あ、土方さん」
 去り際に永倉がぽつりと零した。
 「市村君にすまなかったと伝えておいて貰えますか?」
 「……自分で言いやがれ」
 「……分かりました。土方さんも早目に言っちゃった方がいいですよ?」
 「分かってる」
 むっつりとした顔で答えた土方に向かって笑みを零すと、来たときと同様に騒々しく二人は部屋を後にした。
 急に静かになった部屋で、沖田と二人。
 物足りなくて隣を見れば。
 「市村君の淹れてくれるお茶、美味しいですよねぇ」
 にこにこと正体の掴めない笑みを浮かべている沖田の視線とぶつかる。
 「私も市村君みたいな可愛い小姓、欲しいなぁ」
 ……よく見てみればからからと笑う沖田の目は全く笑ってはいなかった。
 「ちっ」
 「人間、素直が一番だそうですよぉ」
 お茶、早く飲みたいなぁと零す沖田の声を背に土方は重い腰を漸く上げたのだった。



 「すまなかったな。近藤さんに催促されていた書類があったんだろう?」
 結局あの後屯所内を探し回ったのだが市村の姿は見えず。
 夕食後に行灯の日で昼間市村から渡された書類を片付けていると、中に赤字で『至急読まれたし』と近藤の筆跡で書いてあるものが一枚あった。
 「はい。今日中に渡すように言い付かっていたのですが、土方先生が読んで下さらない様なので返事を明日まで延ばして下さるようにお願いしておきました」
 「すまない」
 「土方先生が気に病むことではありません。小姓の私がもっときちんとお勤めを果たしていれば近藤先生にご迷惑をおかけすることもなかったんですから」
 「そうではなく……」
 あくまで淡々と自分の傍らに在って手伝いをしている市村の顔を、土方は正面から見れずにいた。
 「確かに、旬のものは一番栄養価が高いとも言いますし、美味しいことは誰もが知っていることです。けれど、食べ過ぎは却って身体に毒になるのだということを土方先生はご存知ありませんでしたか?」
 「……知っていた」
 「私の仕事は土方先生の小姓です。貴方の傍らに在り、貴方のお手伝いをすることが私の仕事です。貴方の体調のことを考えさせては下さらないのですか? 私はまだ小童です。……先生から見れば頼りなくてどうして私なんかにそんなことを心配されなくてはいけない、と思われるかもしれませんが……」
 市村は俯いていてその表情を窺い知ることは土方には出来なかった。
 が、細い肩が微かに揺れているのを見て土方は自己嫌悪をした。
 「昼間は、俺が全面的に悪かった。どうか、機嫌を直してくれないか」
 確かに市村は小童で、年齢を偽って入隊した。けれどそれを許可したのは間違いなく自分なのだ。
 目が沖田に似ている、とその理由で。
 「土方先生が私に謝る必要はありません。全て私が至らなかったのです。先生を不愉快にさせてしまったこと、申し訳御座いませんでした」
 「違う」
 思ったよりも強い口調で言い放ったその声に市村は弾かれたように顔を上げた。
 言った本人も、驚いた顔をしていた。
 暫しの間、見詰め合って……。
 「ふ、はははは」
 「ふふふ」
 どちらともなく笑い合っていた。
 「先生、お茶淹れてきますね」
 「ああ、頼む」
 そそくさと立ち上がった市村の目の端が赤かったことには触れず、土方は茶を心待ちにしていた。



 「あ、私にもお茶下さいませんか?」
 「俺にもくれる?」
 「鉄、俺にも淹れてくれ」
 「てめぇら人の部屋で何してやがる」
 「「「美味しいお茶を飲みに来たんですよ」」」
 次の日、集会所もかくやと思われるほど土方の私室が賑やかだったことは言うまでも無い。




後書きと言う名の言い訳
……壬生狼のお時間は木曜3限にまで侵食しつつあるようです。このペースで書いてくと恐ろしい数になるんでしょうね。
……ならないか。
今回のネタは『蜜柑』です。あまりにも暇な講義の時間をどう有効活用しようかと思い、友人のみきに助けを求めたところ、彼女は厳かにのたまってくれました。
自分のデザートのそれを片手に握って。
『蜜柑』と。
よってこの話が生まれたわけです。
何だかこの話で『壬生狼』はギャグへと方向を定めてしまったらしいです。
君の書くギャグは素敵さ、とお褒めの言葉も頂きましたし、私、当分ギャグで生きていこうかな、とか思いました。
……嘘ですけど。

今回反則的に長かったのは途中で永倉さんと原田さんコンビと入れ替わるようにして市村が退場してしまった為でしょう。お蔭で話纏めるのに(纏まってるかな、コレ?)えらい苦労しました。
……土方さん、ヘタレになりつつあるし何気に沖田さん、恐いですよ。

そんなこんなで最終話の構想だけは練れてて後の話は突発的事項を書いていくこれ。次回をお楽しみに。

20021012 
再アップ20080207