こいにおちたら




 同じ歳の俺が言うのもなんだけれど、三橋に対しても誰も、というかどうにも弟扱いしてしまう節が。
 うちの野球部の面々、他の学校の面々にもあって。
 その唯一の例外が阿部なのだけれど、あいつの場合はちょっと特別な事情があるからこの際除外しておくことにする。
 「栄口、くん」
 「なに? どうしたの三橋」
 「昨日、教えてくれたところがテストに、出たんだ、よ」
 「ああ、あそこの漢字か。書けた?」
 「う、ん! ありが、とう」
 「いえいえ、どういたしまして」
 そういえば昨日、明日漢字の小テストがあるって9組のメンバーが騒いでいて。
 どうしようどうしようと困っていた三橋にテストの山を張ってあげたのだった。
 他の教科は別として、国語は得意だから。これが役に立った、という訳だ。
 「三橋、栄口に教えてもらったのか。どーりで」
 パックに刺したストローから口を離した泉がニヤニヤと笑っている。
 ちなみに今は昼休み。傍から見ても仲が良い俺たちはほとんど揃って屋上で昼食を取っているところだ。
 三橋のふわふわした髪を撫でて、泉は俺を見た。
 「丸つけたの俺でさ。こいつすげーの、全問正解」
 「本当に? すごいね、三橋」
 「う、ひ。でも、栄口くんが教えてくれたから、だよ」
 顔を真っ赤にして嬉しそうに笑う三橋に、俺も嬉しくなる。
 思わず手を伸ばして髪に触れた瞬間、少し驚かれたけれど、次の瞬間にはこっちがびっくりするような笑顔を浮かべてくれた。
 泉と二人でどうにも行き場を失った手を離すのも勿体無くて。
 視線で会話して、二人でくしゃくしゃとかき混ぜるに止めた。



 「お兄ちゃんと恋人ってどっちがお得なんだろうな」
 この間三橋の笑顔を見てから、色々と悩んでいた俺の心境をそのままずばりと口に出したのは例によって泉だった。
 「って顔に書いてある?」
 「まあ、カマかけたんだけど」
 「……良い読みだよね、泉」
 「一番は塁に出てなんぼだからさ。じゃなくて、悩んでんだろ?」
 悩んでいますとも、それはもう。
 「大体さ、どっちが得とかそういう問題じゃない気がするんだよな」
 「じゃあどこが栄口には問題なんだ?」
 そこが分からない、というか分かりたくないから問題なんだ。
 「弟みたいに思ってる分には、別に何の問題もないじゃない?」
 「ま、そりゃそうだろうな」
 「でもさ、基本的なところとして……俺も三橋も男なんだよね」
 「まあ、そうじゃないと一緒に野球ができないしな」
 「男同士って恋愛関係を成立させられるのかな、と」
 「本人達の意志次第じゃね?」
 「それを三橋に押しつけることにならないかな、と」
 「…………大問題、だな」
 「だろ?」
 仮に俺が三橋を好きだとして。
 まあ、多分そういう意味で俺は三橋を好きなんだけど、それはそれとして。
 友人以上の『好き』を、一方的に押しつけることにならないだろうか。
 「お前が感情の押しつけができるかってことの方が」
 「え?」
 「性格とか考え方とかから察するに、ずーっと抱え込みそうじゃん」
 俺を見て、泉は笑って、続けた。
 「お前が一人で抱え込んでるのは別に良いんだけど、知っちゃった俺には本当に大問題じゃん。な?」
 言われて、さーっと顔から血が引いていった。うわ、うわぁ。
 「で、俺もやっぱり三橋を弟みたいに思ってる節があって、お前の秘密を知っちゃったからには」
 「からには?」
 「やっぱりあれだろ。協力したいとか思っちゃうわけ」
 「……は?」
 「あれじゃん? お兄ちゃんも恋人も兼ねちゃえば良いんじゃねえの?」
 田島や三橋のそれならほほえましい笑顔も、泉のそれになると裏に何かあるんじゃないかと思ってしまう。
 「いや、俺は別に告白とかそういうのは」
 「先越されたらどうすんだ?」
 「え?」
 「俺はしないけど、他の奴らは分かんないぜ?」
 にやにやにや。
 泉は口に出さずに指を折っていく。
 親指から親指まで……何の数でそれが誰を示すのかは聞かなくても分かる気がする。
 そのことに対して嫉妬よりも不安が勝るのは、恋愛感情よりも友情というか。
 保護者のような気持ちが強いからなのか、それとも思った以上のライバルの数に既に諦めかけているからなのか。
 どちらにしろ、守ってやりたいと思う気持ちは変わらない。
 「いいひと、で終わっちゃうぞ、栄口」
 「それ、は」
 軽い口調の、でも目はとても真剣な、泉の。
 指摘はとても正しく。
 ――だからこそ。
 「相手にとって自分の気持ちが負担かどうかなんて、一々そんなこと考えてたら恋なんてできないだろ」
 「分かってるよ、そんなこと」
 口をついて出たのは、硬い声。
 しまったと閉ざしても、もう遅く。
 ごめん、と謝ろうとした、それよりも先に。
 「そう言っちゃう栄口だから、応援してやりたいんだよ」
 「……泉」
 「そう思える奴じゃなきゃ、認めてやんないしな」
 行けよ、と背中を強く押す声。
 兄貴じゃ、弟なんかじゃないじゃないか、この想いのカタチ。
 「ありがとう、泉」
 「おうよ」
 届かなくても、叶わなくても、恋、だから。



 次の日からすぐに全て、というわけには勿論いかなくて。
 目が合えばぎこちない笑顔、が耳まで赤く染まって俯いて。
 名前を呼べば、それはもう気の毒なくらい慌てて。
 それでも
 「三橋」
 「な、に?」
 「手、繋いで良い?」
 一瞬で茹蛸になった後にゆっくりと。
 首が、縦に振られるから。
 「相変わらず冷たいな」
 「え、あ、だ、って」
 「だって?」
 「緊張、する、から」
 「俺に?」
 「ちが……一緒だと、嬉しくて、怖い、から」
 心が蕩けてしまうような、甘い言葉を
 「じゃあずっと繋いでても良い? 慣れるまでじゃなくて三橋が怖くなくなって、自分から繋いでくれるまで」
 「……うん」
 笑顔を、くれるから。

 ひとつずつ、大切に。
 二人で育てていきたいと、願う、この想いが。
 恋、だから。