03.あいつじゃなくて俺を選べ テストが終わってまた部活部活、ってか野球漬けの日々が戻ってきた。 グラウンドが眩しい。マウンドに立てるのが楽しい。 んでもやっぱ週に一日は休養日っつー身体を休めるミーティングだけの日がある。 すっげラッキーなことに 「待たせたか?」 「ぜんっ、ぜん!」 「そっか。んじゃいつもんとか行くか」 「は、い!」 西浦のとうちのそれは重なってる。 今までゲーセンやらカラオケやらに使ってた日を、レンと会うために使うようになった。 ただそれだけで、遊ぶ相手が変わっただけで、遊び方が変わっただけで。 「本当に丸くなったね、榛名」 「あ、きまる、さん」 「うん。こんにちは廉君。俺も一緒して良い?」 秋丸は表面上にこやかーな笑顔でレンに話しかける。 言葉の棘はもちろんレンにじゃなくて俺にぐさぐさ突き立てるためのもんだ。 真っ赤な顔で取れるんじゃねえかってくらい、ぶんぶん縦に首を振るレンに「可愛いなあ」なんて言ってやがる。 ――お邪魔だっつの。 ぐぎぎ、と奥歯を噛みしめて、その嫌な音で我に返る。 何が嫌なんだよ、俺。 別に邪魔とかそういうもんじゃねえだろ。 三人だってキャッチボールはできるし、問題ねえだろ。 「は、るな、さん」 「? ああ、行くか」 ぐるぐる回ってた頭の中身は脇に置いといて、俺らは公園に向かった。 広い芝生でもグラウンドでもねえけど、入口に『危ないのでキャッチボールをしてはいけません』って看板がないから好きに投げられる公園。 そういやこないだシーソーに乗ったら泣かせたな。 吹っ飛ぶはずはねえんだけど、結構ウェイト差があんだよ。 まだまだ細っこくてできあがっちゃない身体。んでも軸は安定してる。 「榛名」 「んだよ」 「ちょっと彼のボールを受けてみたいんだけど良い?」 ただのキャッチボールだけど何かあったら元も子もねえから念入りに柔軟やってるとき、隣から秋丸が小声で話しかけてきた。 こいつキャッチしたくてわざわざくっついてきたのか? んでも別にこんなん断ることでもなくね? 「別に俺は構わないけどよ」 「そう。廉君、キャッチボールの前にちょっとだけ俺に投げてもらっても良いかな?」 柔軟を終わらせたレンに秋丸がそう聞いた途端。 固まった。そりゃもうものの見事に、だ。 とんかちで叩いたらカーンって金属音がしそうなくらい、固まった。 「レン?」 「廉君?」 俺ら二人に上から見下ろされて解凍されると同時に顔が真っ青になる。 ……なんか良く分かんねえけど、良くない感じ、だ。 とっさに手を握ってみる……氷だろ、これ。 「つめてーな」 握るだけじゃ足んなさそうだし、俺よりも小さいから、包み込んでみる。 甲の方はきれいな、でもボールを握るてのひらはぼろぼろでピッチャーのそれ以外の何物でもない。 マメを潰した痕も、剥けた皮も、投げるための手にあれば汚くない。 「なあ、どうした?」 俺と同じ生き物だ。ピッチャーだ。 でも俺とこいつは同じじゃない。 「俺、は」 マウンドじゃなきゃ投げられないってのはない。キャッチボールはここでしてる。 投げるのが嫌なんてこともあり得ない。 空から槍が降ってきたって雨じゃなくて飴が降ってきたって、それはない。 じゃ、何が。 「ダメピー、だか、ら」 ――またそれかよ。 「それは廉君が決めること?」 「で、も」 「失望するしないの問題じゃなくて、俺は一人のキャッチャーとしてピッチャーの球を受けたいってだけなんだけど、どれでも駄目かな」 横から少し屈んだ秋丸がレンの顔を見た。 そういや、言った気がする。 こいつに、良いピッチャーってどんなんだ? って。 「でも、阿部、くん、が、いな、きゃ」 阿部君阿部君の大安売りだ。レンと話してると。 「俺は、ダメピー、だか、ら」 全然あったまんない手。指先。 んでも離したくないんだよな。なんでだか。 「じゃあ、俺のお願い」 笑顔で秋丸はレンの逃げ場所を少しずつ削り取っていく。 いじめんな、困らせんな、泣かせんな、って。 言ってやりたいけど、でも。 「俺もお前が投げんの見たい」 俺がお前を認めたらお前は自分を認められるのかって聞いた。 分かんないって言われた。 どんだけ後ろ向きってか下向いて更に潜っちまってんだ、と思う。 けど。 「お前が投げんの、俺も見たい。見せてくれよ、レン」 タカヤのでも西浦のでもどうでも良いし俺には関係ない。 三橋廉ってピッチャーがどんな球を投げるのか。ただそれだけ。 「どうして、も?」 「どうしても」 ぎゅっと、でも力を入れすぎないように両手を両手で包む。 この手から離れるボールはどんなものなのか。 ま、俺のより早くはないだろうけど。それでも。 「じゃ、サインはなしで口で伝えるから」 「は、い」 内角上ストレート、の秋丸の声に振りかぶるレン。 投げるのが嫌いじゃないのに、自分はヘボだなんて言う。 今年から硬式でタカヤとバッテリー組んでるならそんなに悪いんでもないんだろうに。 俺にはある自信がこいつにはどこを探してもかけらも見つからない。 遅いストレートが良い音を立ててミットに納まる。 「ナイスボール。次は内角低めカーブで」 返されたボールを少し手を伸ばして取って、振りかぶる。 指示通りにミットに納まるボール。 「外角高めストレート」 「外角低めストレート」 すとんすとんと納まるボール。 速さには欠けるけど、投げるのが好きなんだってのは見てりゃ分かる。伝わってくる。 「ラスト、ど真ん中」 投げたら打たれるから、投げたいとは思えない場所。 同じなのか、一瞬固まって。 でもボールはミットに吸い込まれた。 五球だけ。 「ありがとう、廉君」 歩いてきた秋丸の顔は笑顔、かと思いきや。 「阿部君が怒った理由が分かった。君はすごいと俺は思うよ」 諦めみたいなびみょーな表情だった。 てかなんだその感想。 「俺は、ぜん、ぜん」 「阿部君がどんな配球を組み立てるのかは知らないけど、廉君がピッチャーなら色々できて楽しいだろうなあ」 や、楽しそうなのは頭が半分どっか行っちゃったお前だから。残念。 ついでに似非爽やか好青年失敗しちゃってるから斬り。 んでもって俺には全然話が見えねえ。切腹。 じゃなくて! 「そ、んな」 「榛名は? どう思った?」 顔を真っ赤にして俯いたレンのつむじが可愛いなーって見てて反応が遅れた。 「……すっげ楽しそうだと思った」 「……やっぱりキャッチャーにしか分かんないかな。すごい快感なんだけど」 「キャッチでか」 「榛名のボールが反抗期の息子なら、廉君のはその息子がパパーって言って駆け寄ってくれてた頃かな」 ワケ分かんない言葉にうんうんと頷いて。 「分かるまでキャッチボールしてて良い、とは言えないけど。分かったらびっくりするよ、榛名。じゃあまた明日。廉君、またね」 秋丸は帰っていった。そらもうあっさりと。 下向いたままのレンと宿題を出された俺は幸いなことに、はてどうしよう? にはならない。 「んじゃキャッチボールすっか」 「は、い!」 顔を上げたレンは急いで俺と距離を開けるために走っていく。 「いきます、よー」 「おー」 グローブの中に弧を描いたボールがすとんと納まる。 返す。吸い込まれるってよりは、捕まえる。 返ってくる。すとん、と納まる。 ……あれ? 「榛名、さん?」 「あ、わりーわりー」 返す、キャッチされる。 返ってくる、納まる。 …………あれ? グローブの中のボールを見ると、なーんか不思議な感じが同居してる。 「あ、の」 「なあ、お前どやって投げてる?」 止まった俺のとこまで帰ってきたレンのグローブの中にボールを落として今度は俺が離れる。 「もっかい投げろ」 構えたグローブの中に納まるボール。 あたりまえ、あたりまえ、だけど。 「いきます、よー」 緩いカーブの落下点はグローブの中。 ぞくり、と何かが背中を駆け抜けてゆく。 抑えられなくて走り出す。 だってこれは。 宿題が終わってああ疲れた、じゃなくて。 すげえ、と思うのは。 「レン!」 「っ、は、い」 「お前は良いピッチャーだってかすげえと思うぞ」 初めてだ。 俺に足りないものを持ってる。 あれば良いか程度に思ってたそれを、欲しくさせる奴。 「お前は俺とは違うけど、立派な武器持ってる。お前が認めなくても俺は認めるからな!」 まだ細っこい身体をぎゅーっと抱きしめて、近くで顔を見下ろす。 ちょっと遠い気がするけど、ま、いっか。……って何に? 「三橋廉は良いピッチャーだ」 「は、るな、さ」 真っ赤なのに、挙動不審なのに。 「お前、可愛い」 屈みこんで……って、待て俺の身体! 止まれよ、さっきみたいに! てかお前も少しは怪しむとか拒否するとかしろって。 ……されたら傷付くかもしんねえけど! や、お前を傷モノにするよりマシだろ……ってちょっと俺今ナニしちゃう気だったよ。 「っ」 真っ赤なせいであっつくなってたおでこにちゅ、とか恥ずかしいから。 いや本気で。 口とかより本気っぽいじゃねえか。 「う、ぁ」 ほらレンも困ってっから! って。 先走りすぎた行動に口まで引きずられた俺は、もう誰が何をしても引き戻せないところまできてた。 「タカヤじゃなくて俺を選べ」 「……え?」 「この先のことさせる相手」 一瞬柔らかいそれと自分のを重ねた気がするけど、気だけだったかもしれない。 「ヤバイだろ、俺」 突き飛ばせるほどの力はないはずなのに俺の腕から逃げてった。 残ってんのはグローブの中のボール一個。 ……攫ってやろうじゃねえか、シンデレラ。 鬼女房からってのが笑えるけどよ!