05.かっこいいお兄さんは好きですか? 耳の奥に残る、声。 『俺を選べ』 真っ直ぐで、真っ黒な目。 凄い人。いい人。強い人。 阿部君の心の中に、ずっとずっといる人。 羨ましい、人。 怖い人。遠い人。 『タカヤじゃなくて俺を選べ』 どうして俺が。 俺なんかが、何を、選べるの? 「三橋、三橋」 「さ、かえ、ぐち、くん」 「大丈夫? なんか上の空だよ」 昨日、榛名さんが西浦に来た。 たくさんたくさん、胸がいっぱいになる言葉を、くれた。 あんなにたくさんの気持ちを、一気に向けられるのなんて、初めてで。 頭の中も、心も、いっぱいになって。 何か言わなくちゃって、返す、前に。 「雨降って練習できないからじゃないの?」 「水谷、くん」 「多分今日は放課後練習無いだろうなー」 帰る前に、降り始めた、雨。 昼休みになっても、止まない。 「はーないー、今日の練習はー?」 「中止だと。……三橋?」 練習が、休みの日は、榛名さんと会う、日。 俺なんかと、キャッチボールしてくれた。 「は、い」 「や、……うん、なんでもない。そうだ阿部、一応首脳陣とバッテリーはミーティングってことになってるからな」 「……ああ」 阿部君は、昨日から、怒ってる。 榛名さん、の、話が、でると。 凄く、怒る。会ってるって、言ったら、止めろって、言われた。 榛名さんは、阿部君の、特別、だから。 「なあ、三橋どうかしたのか?」 心臓がぎゅっと、握られてる、みたいに。 痛いのが、たくさん。 「ちょ、三橋!?」 変、だ、俺。 阿部君が取られちゃうって、思って、怖くならなくちゃ、いけないのに。 『俺を選べ』 阿部君が、榛名さんを選んだら、どうしよう、なんて。 「三橋!」 「っ、ごめん、な、さい」 怖くて、阿部君の顔が、見られない。 「阿部、怒鳴らない。三橋、ちょっと落ち着いて。誰も三橋を責めてないよ」 「そうそう。急に涙ぼろぼろ零すから心配したんだって。ね、阿部」 「……そうだよ。てかお前泣くほど練習潰れるのが嫌なのか」 練習が、潰れるのは、悲しい。 「晴れたらきっちり投球練習させてやるから、んなことで泣くな」 投げるボール、捕ってくれる人が、いるのは、凄く、凄く嬉しい、こと。 『タカヤじゃなくて俺を選べ』 俺には、何かを選ぶ資格なんか、無いんです。 「てかお前が泣いてるのはそれじゃないだろ」 ぎゅっと、手を、握られた。 「お前、何で悩んでる?」 阿部君には、言え、ない。 「なあ、リベンジって何回までが男らしい?」 「……してる時点で真の漢じゃないと思うよ」 昨日は肝心の廉の返事を聞く前にタカヤに追い出された。 凹みすぎてメールも打てなかった。 や、だってメールで『ごめんなさい』とか返されたらあれだぞ、俺。 立ち直れないぞ、マジ凹みだぞ、ついでに昨日からずっと雨だし! 「じゃあ玉砕覚悟で突っ込んでくのは?」 「三橋君泣かせたら榛名が討ち入りされるんじゃないの?」 「討ち入り上等! 行ってくる!」 なあだって会いたいんだ。 レン。 「あ、ふほーしんにゅーしゃだ!」 「何馬鹿なこと言ってんだよ田島……って、榛名……さん?」 俺を知ってるイコール野球部で良い。そういうことにしておく。 「レンは」 どこにいる、と口にするより早く小猿もどきが目を細めた。 「三橋はやんないぞ」 「……おい」 「ハルナはピッチャーだろ。三橋はやんない」 ざっくり一番嫌なところに勝手に踏み込まれた。 睨み付けても小猿は引かない。 「まあ、阿部もくれてやるわけにはいかないんですけど」 「……は? タカヤなんか誰が要るんだよ」 隣で小猿を止めるでも俺を睨むでもなかった奴が口を開いたかと思ったら苦い顔をした。 「三橋のために阿部もやんない、で良いんじゃねえの? 違った?」 「違うっぽい。田島、読みちょっと外れたな」 「えー、じゃあ栄口と水谷が当たり?」 「だろ。……ああ、すいません。こっちの話です。で、榛名さんはうちに何の用事ですか?」 訳の分かんない話をぶった切ってやろうと口を挟むより先に、頭の回転が速そうな方が俺を見た。 栄口ってあれだろ、昨日の怖い奴だろ。 何が当たりなのか気になるけど、廉以上に気になるものは無い。 「ああ、これも違うか。三橋なら部室です。昨日来たんでしょ」 結論付けて、向こうを指差す。 「乗り込みに行くかどうしようかって相談してたんで急いだ方が良いと思いますよ」 「……なあ、お前らは昨日のみたいに邪魔しねえの?」 とんとんと転がる話には用心、だ。 逃げられるのはごめんだし騙されんのも腹が立つ。 「三橋が笑えるんならそれで良いからさー、俺たちは」 「あいつ泣いてんのか」 ざわりと身体の中身が波打つ。 じじじ、とどっかに火が点く。 いつもよりもっともっと冷たくなってしまうあの手。 俺と同じピッチャーの手。 早く、早く包み込みに行かないと。 俺、が。 「レン!」 がっちゃんってドア開けたら、きょとんとした顔が三つと。 「レン」 伏せられてるのが、一つ。 外野は知ったこっちゃ無い。 「討ち入りする前に来ちゃったじゃん、榛名さん」 「あーもーほら阿部、これ以上追い討ちかけられたくないんならとっとと復活してくれる?」 とりあえずきょとんとした顔で俺を見ていたレンをぎゅーっと抱きしめる。 「は、るな、さん?」 途端に力が抜けた。 だってさあ。 「お前、泣いて無いじゃんか。心配させんなよ」 頭の上にふよふよハテナマーク飛ばしたレンは俺を不思議そうな顔で見て、慌てて俺を押し退けようとした。 うわ何。傷付くんですけど! てかさーあ? 「タカヤお前うっざい。何へこたれてんだよ」 一回ぱっと両腕を離して、ほ、と小さく息を吐いたレンを今度は後ろから抱きかかえてタカヤとその他にしっしっと手を振る。 「あんたのせいでしょうが! あんたが、あんたが……っ!」 がばっと顔を上げたタカヤはぎりぎり奥歯を噛んで俺を睨んだ。 若干泣きそうな気がする。タカヤが泣いたってどうでも良いけど。 「知るか。俺お前になんか何にもしてねえもん」 「そーそー。勝手に阿部が凹んでるだ……ぐはっ、ちょ、何すんの栄口! 痛いじゃん!」 「少し黙ろうか、水谷」 笑顔のまんまで裏拳入れやがった……こええなあ、ほんとに! 「ああそうだ榛名さん」 「な、なんだよ」 一人勝手に潰れたのと自分で潰したのとを従えたこいつには、勝てる気がしねえ。 や、潰して無くても勝てる気がしねえんだけどもよ。 「昨日も言いましたけど三橋はうちのエースです。大切な仲間です。傷付けることは、許しません。だから」 「だから?」 「もう二度と、の言葉を俺たちは認めません。絶対に」 もう二度と、を口にする状況が何を示すのかなんて具体的には分かんねえけど、それは多分。 「誰が泣かすか」 俺が平謝りに謝るときに口にするんだろう言葉で。 レンが泣いてるときに口にするに違いない言葉。 「……よろしくお願いします」 頭一つ下げてきたから、俺も下げ返して。 容赦なくずるずる二人を引きずっていったのを、俺はやっぱこええなあと思いながら見送った。 「んでさー、何があったんだ?」 俺の腕の中から逃げるのを諦めたらしいレンの顔を覗き込んで、首を傾げる。 じーっくり見ると、なんか目元が腫れてるような気がしないでもない。 「泣いてるんじゃなくて泣いてたのかよ、お前」 「な、んで」 「んー、ちょっと腫れてる。誰に泣かされた?」 「だ、誰、に、も」 「擦るなって言わなかったか? 後でひりひりして痛くなっちゃうんだぜ」 ぺろり、と。消毒になるのかどうかは分かんないけど赤くなってたそこを舐めた。 左だけじゃなくて右も。 くすぐったいんだか、控えめに身を捩るレンに少し笑顔。 よし! 「俺、選ぶ気になったか?」 耳元で小さく囁いた言葉に顔も耳も首も真っ赤に染めたレンがものすごく困った顔で俺を振り向いた。 ぱくぱく、口を開いて何かを言いかけては口を閉ざすを繰り返して。 本当に、本当に小さく。 「は、い」 すとん、と心に落ちて染みてじわじわと広がって満たしていく、声で。 腕にこめてた腕の力が緩んだ。 で。 「は、榛名さん」 「……マジ腰抜けた」 ずずず、とずり落ちるのに逆らわないでレンごとへたり込む。 足の間に座らせて、細い肩を痛めないように顎先で触れる。 ふわふわした髪が頬をくすぐる。 ……すげえ、落ち着く、距離。 「だ、大丈夫、です、か」 「ぜんっぜん大丈夫じゃねえよ」 「っ! どっか、いた、く」 顎を離して、慌てるレンの薄い背中にべたりと胸を押し付ける。 「はねえ。な、でもすげえバクバクしてる。分かるか?」 「は、い」 「心臓が全然平気じゃねえ」 「う、ぉ」 「お前が好きだ」 昨日一日考えた。 熱が出そうになった。 姉貴に少女漫画なんて借りてみた。 珍しいことなんてしたからやっぱ雨が降った。 練習が潰れるのはつまんねえ。 けどレンに会えると思ったらちょっと浮上した。 てか返事を貰わないとって焦った。 なんで。 「タカヤと比べなくていい。バッテリーと比べんのがどんだけ無駄なのかお前見て分かったから」 榛名元希って人間についてどう思ってるのか、聞き損ねたから。 野球が無かったら出会えてない。 でも野球抜きのとこで俺に対してどう思ってんのかが、知りたかった。 だけど。 俺を選んでくれるって、言ってくれた。 でも選ばれるってどういうこと? 俺がお前を選ぶってのは、好きだから。 それじゃお前は? 「俺のこと、好き?」 会えることが凄く凄く嬉しくて。 毎日声が聞きたくて。 傍にいたい。一緒にいたい。 その想いの正体は。 「一緒、に、いたい、です」 想うと切なさと喜びで溢れるこの想いを。 好きと呼ぶのなら。 「じゃあ、俺と同じ好きだな!」 「は、い」 二人同じ好きなら、恋、とこの想いに名付けよう。