きみのなまえ






 ふわふわでぽえぽえでぷるぷるでちんまり。
 「―――それ、何に対する形容詞?」
 秋丸が眼鏡の奥の目をまん丸にして聞いてくる。
 てか半分呆れが入ってる。
 別に俺たちはなぞなぞをしてるわけじゃない。
 「ひよこ色でびくびく?」
 「―――だから、何の話?」
 「お前賢そうに見えるのにわかんねぇの?」
 「それだけで分かったら人間努力を必要としないでしょ」
 で、何の話? と眼鏡なだけで賢くはなかった秋丸がまた聞いてくる。
 「生き物」
 「榛名」
 「ほら、この間捕まえただろ? 抽選会のとき。タカヤのピッチャー。あれ、なんて名前だったっけ?」
 「西浦の……、ああ、あの子か」
 うんうんと頷くがその先が続かない。
 なんだ、こいつも知らないのか。
 「しかたねぇな」
 「何が?」
 「西浦まで行ってくる」
 「は?」
 「気になんだもんよ。気持ち悪いだろ、分かんないままなの」
 日頃の行いが良いから今日は練習じゃなくてミーティングの日だ。
 あっちもミーティングだったらどうしようもねぇけど、きっと無い。
 この俺がわざわざ出向いて行ってやるのに練習をしていないはずが無い。
 「行くのは良いけど、場所分かるのか?」
 「知らねぇ。お前知ってる?」
 「…………ああ」
 「じゃ俺を西浦まで連れてけ」
 「はいはい」
 道案内も手に入れた。
 これであのぽえぽえに会えないなんてことがあるはずが無い。
 


 「へーここが西浦か」
 駅からの道は覚えた。今度は秋丸無しで一人で来よう。
 「はたして勝手に入っても良いもんかね」
 「偵察っつーことにしておこうぜ。……あ、なぁ、野球部ってどこで練習してるんだ?」
 適当につかまえて聞けば喜んで教えてくれる。
 笑顔もつければ悲鳴もついてくる。女は簡単で良い。
 「榛名って顔で得してるよね」
 「お前もな」
 良い人オーラ全開だからな。
 「お、やってるやってる。えーっと、あれか?」
 ピッチャーだって言ってたからマウンドに立ってるのはきっとあいつだ。
 でもこの間のおどおどびくびくとは雰囲気が違う。
 キャッチャーに向かってボールを投げる一人のピッチャーだ。
 ボールは遅いけどな。
 「あ! 榛名だ!!」
 小猿みたいなのの馬鹿でかい声に一番に反応したのはタカヤだった。
 軽く手を挙げてピッチャーに合図を送るとマスクを外して俺を見る。
 何の用だって顔で俺を睨みつけてるのは、記憶にあるのとそう変わらない生意気な面。
 「よぉ」
 手を挙げた俺を無視できるほど大人になってもねぇ。あからさまに舌打ちをしてこっちに来る。
 「何してんですか、あんたは。こんなとこまで来て」
 「てーさつに決まってんだろ。相変わらず馬鹿だなお前」
 「ちょ、榛名! すみませんね、こいつ」
 「……別に」
 こいつの相手はどーでも良いや。俺が見たいのはこいつじゃない。
 「なぁ、お前のピッチャーなんて名前?」
 「は? そんなのあんたに関係ないでしょうが。偵察なら偵察だけしてさっさと帰ったらどうです?」
 「ピッチャーがピッチャー気にするのは当たり前だろ。なぁ、なんて名前?」
 「練習中なんで戻ります」
 うわむかつく。
 「榛名、抑えて抑えて。こっちが邪魔してるのは事実だろ?」
 「うっせぇ。おい、そこのピッチャーちょっとこっち来い!」
 「あんた何考えてんだ!」
 「お前に用は無いんだっての! おいピッチャー!」
 びくっと跳ねて慌ててこっちに走ってくる。
 お、やっぱこの間のふわふわだ。びくびくするのが同じ。
 「な なん、です、か?」
 「お前名前は?」
 顔真っ赤にして、口パクパクして困ったって顔してタカヤを見る。おー意外と可愛い。
 「お前は気にしなくて良いから。ほら、戻って投球練習するぞ」
 ほんと邪魔だなこいつ。
 「タカヤじゃなくてお前に聞いてんだ。名前、教えろよ」
 俺とタカヤの間で完全にパニックになってる。
 ったくマジ邪魔だタカヤ。
 「阿部君、こいつ本当に彼の名前を知りたいだけで別に取って食おうとかそういうのは考えてないから。少しだけ、良いかな?」
 膠着状態だったのを見兼ねた秋丸が隣からタカヤに話しかける。
 秋丸の良い人そうオーラはタカヤにも通じるところがあったのか、俺と秋丸を交互に何回か見てため息をついた。
 そしてピッチャーを見るとおもむろに右手を掴むと手のひらを合わせた。
 「あ、阿部君」
 「手、冷えちまったな」
 「だ 大丈夫、だよ? お、俺、投げられる」
 「そっか」
 なんだこいつら。
 「何それ」
 「イメージトレーニングですよ。緊張を解すんです」
 何か勝ち誇ったように鼻を鳴らすのがむかつく。タカヤのくせに。
 「は 榛名さん、お、俺に?」
 「そう。俺が用があるのはお前。タカヤにはひとっつも無い!」
 しっしって手を振っても動きやしない。お前は番犬かっての。
 「な 何の用、ですか?」
 「名前。この間聞き忘れた」
 「う、お?」
 「タカヤのピッチャーじゃ呼び辛ぇんだよ。だから名前」
 確かにこいつはタカヤのピッチャーだけどそれはタカヤがキャッチャーだからであってこいつがタカヤのものって意味じゃない。
 ……って、さっきから何でむかむかしてんだ俺。
 「み みはしです」
 「ミハシ? どんな字書くんだ? 下は?」
 「み、三つの橋、で、三橋、で。な、名前は、レン、です」
 「レン?」
 あんま耳慣れないけどこいつには似合ってる気がする。
 「まだれに、兼ねる、で、廉、です」
 「ああ、清廉の廉か。廉潔の廉。うん、良い名前だね」
 「うひ。あ ありがと、ござい、ますっ」
 急に横から秋丸が口を出して褒めたら不思議な声出して、でも凄ぇ嬉しそうに笑った。
 隣でタカヤが目を丸くして、俺と目が合ったら顔真っ赤にして逸らしやがった。見惚れてやがったな。
 「じゃあ廉だな。俺の名前は知ってんのか?」
 ぶんぶん首が取れるんじゃないかってくらい申し訳なさそうに、でも一生懸命に横に振るのが、小さな犬っころみたいだ。
 撫でてやりたいな。
 「元通りのモトに希みのキで元希、な。覚えたか?」
 「う あ はい」
 こくこくと首を縦に振る。折れちゃわねぇか? こいつ物凄く軽かったよな。
 顔なんか真っ赤にしちゃってさ。超可愛い。
 ……そっか、こいつ可愛いのか。そっかそっか。
 「そしたら俺は元希さん。廉、呼んでみ?」
 タカヤの顔色が変わる。ははーん、こいつ名前で呼んだことも呼ばれたこともねぇんだな。
 ざまーみろ。
 「も、ときさん」
 「おう」
 「元希、さん」
 ふにゃっと廉が笑う。
 ずきゅーんと俺の胸に何かが直球で飛び込んできた。
 「あ、じゃあ、俺たちはもうお暇するから。お邪魔したね、阿部君、三橋君」
 「さっさとそれ連れて帰ってください」
 ずきゅーんの正体が何だか分からないうちに廉と引き離される。
 「廉!」
 ずるずる秋丸に引きずられながらも、俺は精一杯声を張り上げる。
 「うちと当たるまで負けるんじゃねぇぞ!」
 「は、はい!」
 廉もタカヤに引きずられながら精一杯の返事。
 手を振ったら遠慮がちに小さく振り返してくる。
 あれ可愛い。絶対に可愛い。



 「秋丸」
 「何」
 「廉、可愛かったよな」
 「ああ。可愛げがある子だったね」
 「そうじゃなくて!」
 次に行くときは必ずメルアドと番号をゲットしてやる。
 










 その日から西浦高校公式野球部の部室には悪霊退散のお札が貼られたとか貼られないとか。
 「二度と来るんじゃねぇ!」
 垂れ目のキャッチャーの怒声が響いたとか響かなかったとか。