大切にしたいって気持ちと。 もっと先に進みたいって気持ちが。 上手く、同居できなくて、困る。 きみがすき たとえば手をつなぐのは、朝練の瞑想で慣れてるから平気。 でも、こんなので結構勇気が必要だったりする。 そっと手を包み込んだときに驚かれないのって珍しくて。 びっくりされることの方が多いんだけど、でも、嬉しそうに笑ってくれるから、その勇気は報われる。 でも、ちょっと凹むことが最近ある。 「三橋の手ってきれーだよね」 つないで持ち上げた三橋の手はピッチャーの手。練習の痕っていう、努力の証がたくさん刻まれた手。 でも俺はそれがたまらなく好きで、手タレとかそういうんじゃ無しに凄く綺麗だと思う。 「そ、うかな？」 本人に自覚は全然無いんだけど、俺はこの手よりも好きな手なんてないんだよって気持ちを込めて甲をそっと撫でる。 「透明なマニキュアまで塗ってんだ？」 「あ、阿部君が」 知ってんだけどねー。実はねー。 本当にもう愛しいって言葉がしっくりくるんじゃないかって思えるほど阿部が大切に大切に。 三橋の手のケアをしてんのはさ、見たことだってあるしさ。 爪きりじゃなくて爪やすりで丁寧に一本一本形整えて。 それこそ壊れもの扱うみたいに小さな刷毛でマニキュア塗ってんのも。 知ってるんだけど。 「ちょっとジェラシーだなー」 「う、ぇ？」 不思議そうに首を傾げる三橋はとっても可愛いんだけど、おなじくらい憎い。 他の男に触らせないでよって言葉が喉元までこみ上げてくるんだけど、でも、声にはしないで。 いつものへにゃりとした笑顔を浮かべてごまかす。 男の嫉妬ってみっともないからさ。 そんな心狭い男になりたくないし、思われたくないしさ。 分かってんだよ、そんなの。 「あ、の？」 「髪の毛いじっても良い？」 ふわふわしてるのが可愛いから、何かを付けたりだとかそんな大袈裟なことはしないで、ブラシとか櫛で梳かす程度なんだけど、ね。 「う、ん！」 水谷君は凄い！ って笑ってくれるし、俺も三橋の髪の毛に堂々と触れるから。 これだけは、俺の特権にさせて欲しいなーって。 そう、思った。 「三橋」 部活が終わって、グラ整も終わった頃、阿部が三橋に声をかけてたのが、ちょっと離れてるところからでも分かった。 多分、また手のケア。爪のお手入れ。 ……阿部の、特権。 「珍しいこともあるもんだね」 「へ？ なーにが？」 「眉間にしわが寄ってたよ。気付いてなかった？」 「うっそだぁ」 急に声をかけられたけど、いつもどおりのへらへら笑顔で逃げ切ろうとした。 でも相手は栄口。通じるはずが無かった。 「下手な嘘つくんだったら黙ってたほうが水谷の場合は良いんじゃないかな。地雷も踏まないで済みそうだしね」 「……さよですか」 ため息一つ。あ、幸せの妖精さんが一人死んじゃったかもしれない。 三橋のためにとっておいてあげたかったなー。 「で、どうしたの？」 「いやー、報われないのって辛いわぁ、と思って、さ」 爪割ったらボール投げにくくなるだろ、とか。 首振る投手は嫌いだって言っただろ、とか。 半ば脅迫じみた阿部の言葉に大人しくなった三橋が後を追って部室に歩いていく。 今すぐ部室に行くのも、阿部が三橋の手を愛しそうに触ってんの見るのも、正直、きっつい。 でも投手と捕手、バッテリーってそういうもんなんだって。 割り切らないと、もう、どうしようもないから。 「良いこと教えてあげようか？」 三橋を目で追ってから、俺に視線を戻した栄口が。 俺の手を指差しながら、そう言った。 「シニアのときに教えてもらったから、教えてあげることくらいは俺にもできるよ」 「えーっと、栄口さん？」 「別にキャッチャーしかやっちゃいけないってことも無いと思うし。 そればっかり気にされて捕球処理失敗されても困るからね、レフトさん」 付き合ってるのは、誰にも言ってないつもり、だったんですけど。 ばれてるよな、これは。 「俺たちの大事なエース、泣かしたらどうなるか分かってるよね、水谷」 「よろしくお願いします栄口先生」 「いえいえ。娘をよろしくお願いします？」 「えええ？」 「だよね、泉」 「あー、仕方ないよなそればっかりは。三橋が選んじゃったんだもんな。つーことで頑張れ水谷」 どうやら三橋の保護者の了承は得られたらしい……って、気付いてるのこの二人だけなんだろうなー。 今のうちに味方にしておかないと阿部にばれたとき怖いよなー。 かくして俺のネイルケア大作戦が始まったのだった。 やってみれば案外簡単というか。 大切に大切に。ていねいにていねいに。 それを心がけてやれば、結構上手くできるっていうのが栄口と泉を練習台にした結果、分かった。 だから。 「みーはし」 「な、に？」 「爪、俺にやらせてくれない？」 「つ、め？」 「阿部がやってるじゃん？ 俺にもやらせてほしーなー、と」 そっと両手を包み込んで、お願いしてみる。 固まってしまった三橋と、どうしたら良いのか分かんない俺もまた固まってしまったところで。 「俺が教えたから安心してやってもらいなよ」 「栄口君、が？」 「そ！ シニアで教えてもらったっていう技術を俺も伝授してもらってさ……三橋？」 ちょっと重くなりそうだった空気を吹き飛ばすために軽く言っている途中で、三橋がさっきまでとは違う固まり方をしていることに気付いた。 と思ったらみるみるうちに両目が涙で覆われていく。 「ちょ、どしたの？」 え、どうして、どうして？ 慌てた俺の言葉をきっかけにぽろぽろ涙を流し始めた三橋を見て、俺も更に慌ててしまう。 「世話が焼けるなぁ」 言葉とは裏腹に優しく笑った栄口がくしゃりと三橋の髪の毛を撫でて自分のほうを向かせた。 「三橋が阿部に爪の手入れをしてもらってるとき、水谷も同じ気持ちだったんだよ」 「ふ、ぇ？」 「水谷はさ、阿部に三橋を触られるのが嫌で俺に習ったんだ。だから、泣かないで？」 え？ つまり……どーゆーこと？ あの、俺は、もしかして。 「三橋、やきもち？」 「っ！」 口にした瞬間に、三橋の顔が真っ赤に染まった。 俯いてしまったから余計に分かる、耳の付け根も首筋も。 きっとほっぺも真っ赤で物凄く可愛いんだろうな、目も潤んじゃってるんだろうなーっていうか。 …………俺ひとりじゃ、なかったん、だ？ 「ネイルケアだけにしておきなよ？」 「ぜ、善処します」 栄口が部室のドアを閉めた瞬間に、俺は三橋をぎゅーっと抱きしめていた。 もう、声にならない気持ちで胸がいっぱいになって、抱きしめるほかに何にもできなくなっちゃって。 「み、水谷く、ん」 「あーもー俺三橋好き。大好き。超好き！」 今この瞬間を愛しいって言うんだなーって俺は実感した。 「これで良し、と」 「あ、ありがとうござい、ます」 「いーえー」 ずっと抱きしめてても良かったんだけど、三橋の手にも触れたかったから、本来の目的だったネイルケアをやることにした。 栄口や泉のときはそうでもなかったんだけど、物凄く緊張しちゃって震える手でまず爪の形から整えて。 だんだん練習のときの感じを思い出して、最後にマニキュアを塗るときは、自分でも上出来！ って言えるくらいにうまくできた。 全然はみ出さなかったし。 「すご、い」 「ほんと？ あ、じゃあ俺が三橋の専属になって良い？」 「せ、んぞく？」 「うん。あの、さ」 口に出しちゃって良いのかな。でも、三橋も嫉妬してくれたんだよね？ だったら、良いのかな。 「阿部だけじゃ、無いんだけどさ。あんまり、触らせないで、欲しいんだよね。あー、その、えっと」 「……ごめん、なさい」 「へ？ なんで三橋が謝んだよ」 「だって、俺」 今まで、水谷君に、嫌な思いを、させてた、から、と。 止まっていた涙をまたほろほろと零して、三橋は俯いた。 ぎゅっと、膝の上で拳を握りしめようとしたのを、自分の指を絡ませることで止めた。 せっかく俺一人に許されたマニキュアが落ちてしまう。 「顔上げてちゃんと俺のこと見てよ、三橋」 涙と一緒に零れていってしまいそうな目を真っ直ぐ覗き込む。言葉の一つ一つを、その中に込めた思いをしっかりと三橋に伝えたくて。 「かっこ悪いって思って、言えなかったんだよ。阿部に触らせるな、とかそういうの、ダサい気がしたから、言えなかった。 でも、違うってことにようやく気付いたんだ」 嫌な思いをしたってことは、本当に俺が三橋を好きだから。そういうのはちゃんと伝えなくちゃいけないってこと。 そうじゃないとお互いに空回りしちゃって一番大切なものが見えなくなっちゃうってこと。 「俺ね、本当に三橋が大好きで同じくらい好きだから、言えなかった。だけど、今日は言うから、聞いて」 指を絡めた三橋の手は冷たい。けど、俺は知ってる。どきどきしてるからこの手が冷たくなってるってこと。 「俺、三橋が誰かに触られるだけで嫌な気持ちになるんだ」 かっこ悪くてごめん。みっともなくて本当にごめん。かっこいい水谷君の理想像を壊しちゃってごめん。 でも、体裁を取り繕って君を失うほうが、俺には怖いんだ。 「俺、も、嫌、だ。俺も、かっこ悪い」 ふわり、と微笑んで瞬いた三橋の目から零れ落ちた涙はそれで終わり。 凄く綺麗だけど、これでおしまいにしたい。 「二人でかっこ悪くなっても、良い？」 返事は「はい」でも「うん」でもなくて涙の味のキスだった。