女神は微睡む 5 「すいません、どなたかいらっしゃいませんか?」 金目のものだと思われると困るからってんで真珠の親石は手荷物の中に紛れさせておいた。 絶対に自然界には無い大きさの生まれたての赤ん坊の拳くらいの大きさの真珠なんか持ってたんじゃあまりにも怪しすぎる。 「……どちら様ですか?」 「旅をしているものなんですけれど、宿が見つからなくて困ってるんです。一晩の宿を提供していただけませんか?」 大きな扉の向こう側から聞こえた声に高瀬はことさら丁寧に喋る。 聞こえたのが子供の声だったのに、だ。 「ただいま主人に聞いてまいりますので少々お待ち下さい」 この家の子供でないことは確かだが、それにしても子供らしくない口調だ。 下働きの子供なのかどうかは顔が見えないから分からないが、思った以上にここは変な屋敷なのかもしれない。 「大人の執事とかいないのって変じゃないか?」 「胡散臭さ倍増だな」 待たされている間に様子を伺ってみるが、どうも娼館とか連れ込み宿といった感じはしない。 普通に貴族が住んでますって感じが取って付けたような違和感を醸し出しているとでも言うのか。 「金剛石の騎士の見立ては?」 「気に食わない」 「……率直過ぎて参考にもならない意見をどうもありがとうと言っておくべきか?」 「お前にも分かるだろ。この屋敷、生きてる気配があんましないんだよ」 大きな屋敷にはそれ相応に人の気配がするのが当たり前だ。 屋敷を維持するのには大勢の人手が必要になるし、大きな屋敷を持ってる人間のところにはいつでも人が集まることになっている。 それなのにこの屋敷は人の気配が少なすぎる。 二十人前後いたっておかしくない入れ物に少なすぎる人。 気味が悪いとしか言いようが無い。 「でもここ以外に宿は無いぞ」 「分かってる」 女神から与えられた祝福のせいで元々持っていた薄気味悪いものを感じ取る直感が俺は強くなった。 清浄無垢。 これに当てはまらないものを身に寄せ付けないために与えられた力なのかどうかは知らないが。 「お待たせいたしました。どうぞおあがり下さい」 子供の声で嫌なものの気配を読み解こうとしたのが中断された。 猫みたいにつり上がった目の子供。 その後ろには馬鹿みたいに趣味の悪い装飾で彩られた広間が広がっていた。 「良くいらっしゃいました。大したおもてなしは出来ませんが出来うる限りのことは致しますので何でもお申し付けくださいね」 「ありがとうございます」 「……どうも」 「お二人のお世話はこの者どもにさせますので」 「叶です」 「どうも、織田です」 「それでは大変申し訳無いのですが、私は仕事があるので失礼させていただきます。どうぞごゆっくりお過ごし下さい」 気味の悪い男がこの屋敷の主人で、名前は……なんか胡散臭いような名前だった。 通された部屋には大きな寝台が一つ。風呂も付いている立派な客間。 それを俺と高瀬一人ずつに宛がい、子供を二人置いて、男は自分の仕事に戻って行った。 奇妙な沈黙が部屋を包み込む。 「飯、食いたいんだけど」 「榛名」 「何でも言えって言ってただろ。な、飯ある?」 葬式みたいな空気が嫌で、ガキどもに聞いてみる。 もみ上げの長いガキが首を傾げて猫みたいなガキの顔を見る。 猫みたいなガキも首を傾げて、俺たちを見た。 「俺たちと一緒でも良いなら、ありますけど」 「けど?」 「一人大食いがいるから、そいつを宥めるのがちょっと面倒臭いんや」 「面倒とか言うな!」 「だってあいつ食いもんのことは譲らんやんか」 「他全部譲ってるんだから食いもんくらい可愛いもんだろ!」 「……せやな」 「で、俺は飯食えんのか? 食えないのか?」 延々と続きそうな漫才みたいなやり取りに、こいつらはあのいけ好かないやろうと違って普通だ、と思いつつ。 俺の腹の虫もあんまり忍耐強くないから、口を挟む。 「ご馳走じゃなくてもええなら構へんで」 「食えれば別に構いやしねぇよ」 「俺もそれは構わないよ。で、君たちのほかにもこの屋敷には子供がいるの?」 もう食事する気満々の俺たちに高瀬が水を差す。 あー、そういえばもう一人いるようなことを言ってた気がしないでもない。 「おるっちゃ、おる」 「何だよそれ」 「会えば分かる」 「は?」 「榛名、子供相手に突っかかるなって。じゃあ、この屋敷に人は何人いるの?」 「知らん」 「あんまり見ないから分からないけど、主人と料理人と俺たちと家政婦の人くらいだと、思います」 大人三人と子供三人。 少なすぎるし不気味だと思うわけだ。 「君たちはここの屋敷の主人の子供じゃないよね」 重ねた高瀬の問いに、二人とも答えない。 更に追求するでもなく、高瀬は話題を他のものに変えて色んな情報を巧みに引き出していった。 それとなく、ここの主人とこのガキどもの関係に探りを入れつつ。 「飯は、ここ」 「ちょお待っててな。急に知らない顔があるとびっくりするから」 中から食い物の匂いが漂ってくる部屋の前で、一度足止めされた。 叶と織田は部屋の中に駆け込んで、もう一人のガキになにやら話しかけているようだ。 食い意地が張った人見知りの激しい子供。 ……どんなだか。 「お待たせしました」 呼ばれて飛び出て何が出るのか。 「うっわ、かーわい」 織田の後ろに隠れるようにふわふわの子供が涙目で俺と高瀬を見上げていた。 「……って、ちょっと待て高瀬」 だらしなく顔を緩めていた高瀬が急に小さな子供に近付く。 慌てて子供を守ろうとする織田を片手で退けて、子供の前に膝を着いてしゃがんで、急に袖を捲り上げた。 細い腕に、絡みつくように赤黒い蔦のような紋様が浮かび上がっていた。 険しい顔で織田と叶も引っ捕まえると同じように袖を捲り上げる。 二人にはさっきのとは少し違う形の、蒼黒い蔦のような紋様がまとわり付いている。 「これがあるから君たちはここにいるんだね?」 服を元に戻して、高瀬は子供たちに確認をする。 俺には一体何のことか分からないけれども、叶と織田は高瀬に頷き返す。 ふわふわの子供は目に涙を浮かべて叶にしがみついた。 「何がどうなってんだ? てか飯は?」 「痛覚を奪う呪術と声を奪う呪術だよ、榛名」 「……なんだよ、それ」 そういえばふわふわの子供は泣き声をあげずに涙だけ零してる、と。 気付いてから無性に腹が立った。