女神は微睡む 6





 「こういうのは、戦争のときに兵士にかけられる呪術なんだよ」
 「どういう意味だよ」
 「人扱いされてない。道具扱いしてるって証」
 呪術ってものが存在するってのは聞いたことがある。
 女神の祝福や奇跡とは相反するもの。
 人を縛り付けるためのもの。
 人を人ではなく、物として扱うために施す非道なもの。
 それが、呪術だ。
 でもそれを子供にかけるなんてのは聞いたことが無い。
 「何だよそれ」
 生産のための労働が出来る年齢の人間を縛り付けるためにそういう呪術を使うっていうのは、知ってる。
 そういう人間がいることも、そういう呪術で食っていってる奴がいることも、知ってる。
 でもそれは。
 「ここの屋敷の主人にかけられたの?」
 こくこくと頷く子供たち。
 叶の後ろの子供なんかそのたびにぼろぼろ涙が零れる。
 「そんなに泣くと目が蕩けるって言われなかったか?」
 つい興味を引かれて手を伸ばすと、震えて更に縮こまる。
 「こいつに触んな!」
 叶には睨まれるし。
 「悪いけど苛めないでやってんか」
 織田にまで睨まれる。
 何なんだ、この子供。
 「なぁ、お前の名前は?」
 くじけないで声をかける。
 返事は無い。そういえば声を奪われる呪術がどうだとか言ってた。
 一生懸命口を動かしてはいるけれど、何を言っているの良く分からない。
 読唇術でも覚えておきゃ良かった。
 「ごめんな。何て言ってんのか分かんねぇ」
 ふるふると大げさに首を横に振る。お前が謝る必要はねぇだろ。
 術かけた奴が悪い。お前は悪くない。
 なんか急に抱きしめてやりたくなったから
 「泣くなよ。お前は何も悪くないだろ」
 叶に庇われている子供をひょいと持ち上げて顔を覗き込む。
 でっかい目から絶えず流れてた涙がびっくりしたように止まった。
 「離せっ!」
 「下ろしたってや!」
 ぎゃいぎゃい騒ぐのは無視して、指先で零れていた涙を拭ってやる。
 飴色の目が不思議そうに俺を見た。
 「榛名、子供苛めてどうするんだよ」
 「苛めてねぇだろ! あ、お前に怒鳴ったんじゃないからな」
 びくりと震えたから慌ててふわふわした髪の毛を撫でてやる。
 「呪術より先に飯食おうぜ。お前も腹減ってるんだろ?」
 凄い勢いで首を振る。髪が顔をくすぐるのがこそばゆい。
 「めーしめーし」
 「…………悪いんだけど、食事を先にしてもらっていいかな? あの子に危害を加えるような真似は絶対にさせないから」
 物凄い目で睨みつけてくる子供二人は高瀬に任せて、俺はこのふわふわと親睦を深めることを優先させる。
 高瀬じゃないけど、こいつは可愛い。
 「俺、榛名元希ってんだ。元希さんって呼んで良いぞ」
 そこらにあった椅子に座って、膝の上に乗せたままわしゃわしゃと髪の毛を撫で続ける。
 いー感じにぽえぽえで癖になりそう。
 『元希、さん?』
 声は紡がない唇が、俺の名前をなぞるように動かされる。
 「そうそう。んであっちは」
 「俺は高瀬準太だよ。準さんって呼んで良いからね」
 「んだよお前。あいつらの手伝いしろよ」
 「榛名が抜け駆けするからだろ」
 「俺がこいつと遊びたいの!」
 「……訳分かんない理屈捏ねんなよ」
 はぁ、とため息をついた高瀬の袖を引っ張って、ふわふわは口を開く。
 『準、さん?』
 「そう! やっぱ可愛いなー」
 くしゃくしゃと髪の毛を撫でられてご機嫌だ。
 ガキは泣きそうな顔してるのよりも笑ってるほうが良い。
 「飯! 食わないのかよ!」
 「食う! んな怒鳴んなって」




 ふわふわは軽いのが嘘みたいに実に良く食った。
 「全部涙で出てってるんじゃねぇか?」
 食った後、既に舟を漕ぎ始めてるふわふわを取り戻した叶は上機嫌で世話を焼いてやっている。
 「あー、俺らの代わりに泣くんや、あいつ」
 「お前らの代わり?」
 「あのけったくそ悪い主人に折檻されるんやわ、俺ら。でも痛ないやろ。あいつは痛みが分かるからぼろぼろ泣きよる」
 「なんだ、それっ!」
 「声なき声で叫ぶんや『止めて、止めて』って。『修ちゃんと裕ちゃんが死んじゃう』ってな」
 子供にしては達観しきった顔で織田はふわふわとその世話をする叶を見ている。
 「でもそれは序の口なんや。もっと酷いときはあいつが鞭で打たれる。痛いのに叫べない、あいつが」
 ぎり、と奥歯をかみ締める音が俺たちにも聞こえた。
 「俺らの身体なんか痛みが無いんやからどんなに痛めつけても面白ないんやろうな。正直あいつが泣いてるほうが俺らには痛い」
 湯呑みを握り締める指先は力が入りすぎて白くなっている。
 俺も怒りでぐにゃりと視界が赤く染まった気がした。
 「何でここにいるんだよ」
 「子供の足で遠くまで逃げられるはずが無い。捕まってもっと酷い折檻されて終わりや」
 「……君たちはいつからここにいるんだ?」
 ずっと黙ってた高瀬が急に口を開いた。
 いつものへらへらとした笑いを浮かべた顔じゃない。
 さっき、こいつらにかけられてる呪術に気付いたときと同じような、真剣な顔。
 「三年くらいに、なるな」
 「あの子の名前は?」
 頑なにあのふわふわの名前を口に出そうとしなかった二人。
 聞き出そうとしても口にしなかったふわふわ。
 「聞いて、どないする」
 「聞いても聞かなくても俺は君たちを助けようと思ってるし、多分榛名も同じだと思うけど」
 「おお」
 「俺の名前、呼んでくれたから。俺もあの子の名前を呼んであげたい。それじゃ駄目かな?」
 「お前も抜け駆けしてんじゃねぇか!」
 「先に呼んでもらったのは榛名なんだからこういうときくらい別に良いだろー」
 「ずっこいんだよお前!」
 「俺は飯の手伝いしたぞ!」
 「…………自分ら俺の話聞く気あるん?」
 「「ある」」
 織田の突っ込みに我に返って、返事をする。
 高瀬と馬鹿話をしてる場合じゃなかった。
 「レン、や」
 「織田!」
 「お前かて聞いてたやろ。悪い人間ちゃうで」
 毛を逆立てた猫みたいな叶は放っておいて、顔を見合わせる。
 「偶然か?」
 「榛名、俺を誰だと思ってんの」
 もし万が一があったら困るからという理由で手荷物の中から懐に移し変えておいた真珠の親石をそっと取り出す。
 うつらうつらと舟を漕いでいるふわふわの手の中に、そっと包み込ませる。
 「これ、お前のか?」
 放たれた輝きに驚きながらも、ふわふわは手の中から視線を動かさない。
 「三橋、廉だな?」
 




 ふわふわもとい三橋廉は小さく、けれどしっかりと頷いた。
 あの男本気で許さねぇ。