女神は微睡む 9





 「たのもー!」
 靴の踵で蹴り開けた部屋の中は。
 分かりやすく言うなれば悪意、俺たちの専門用語で瘴気が満ちていた。
 「おやおや、随分と乱暴なお越しですね」
 嫌な感じの正体は、館の主人が磨いていた禍々しい気を帯びた髑髏だった。
 悪趣味全開。金箔を貼り付けられたそれの中に揺れるのは青緑の炎。
 漂うのは獣の血臭。
 「もう少しで貴方たちにも呪を施すことができましたものを」
 「ざけんな」
 床に転がされているのは、馬の頭。
 ……乗って来たやつらは疾うに餌食にされていた、と言うわけだ。
 ご丁寧に二頭分ありやがる。
 「てめぇ、何者だ?」
 「ご挨拶しましたが?」
 「しらばっくれるな。さっきも嫌な感じはしてたがまだマトモだったぜ」
 「少なくとも牙は見えなかったしな」
 薄い唇からはみ出ているのは、人外の異形しか持ち得ない牙。
 光彩と瞳孔の境を持たない目はどろりと濁った沼の色。
 さっきまでは人形を保っていた化け物が、とうとう正体を現しやがったってか。
 「闇よりも尚暗く深き者、とでも申しましょうか」
 「冥府の使いがそんな立派なもんかよ」
 違和感を消し去れない程度の小物なら、二人で十分。
 でも消すよりも先に呪具を見つけておかないと、ぶっ倒す意味が半減しちまう。
 「探し物はこれですか?」
 「随分気前が良いじゃねぇか」
 血が付いたままの爪の先で一括りにされた三つの骨。
 「あれだろ」
 「だな」
 赤黒い印と蒼黒い印が刻まれた、触れたくもないほどの瘴気が纏わり付いた、それは。
 「あの子供たちがそんなに気に入りましたか?」
 「まぁな」
 さて、どうするか。
 まず、こいつをぶっ倒す。
 次に、あれをぶっ壊す。
 で、良いか。
 「高瀬、時間稼ぎと本番とどっちにする?」
 「時間稼ぎで」
 「できると思ってるんですか?」
 「するんだよ」
 呪術よりも高位の呪文が高速に組み立てられていくのを高瀬が剣戟で遮る。
 それの繰り返しの間に、俺は歌を編む。
 女神の力を呼ぶ、歌だ。
 「我希うは清浄の光。闇を焼き払う一閃の光。
 響け歌よ、届け願いよ。
 女神の十二席が一、金剛石の望みのままに、裁け、冥府の僕を!」
 高瀬が退いた瞬間に、剣に宿った光を解き放つ。
 触れた先から、脆く崩れ落ちていく既に命を失っていた身体。
 「一つ、良いことを、教えて、差し上げましょう」
 消えてなくなる寸前に、開いた口が遺したのは。
 「女神の愛し子は、既に冥府の王がその存在を欲しています」
 洒落にもなりゃしない、けれども戯言と捨て置くには重過ぎる言葉だった。
 「……で?」
 「とりあえずこの呪具を壊す?」
 「馬、死んでるよな」
 「どうやって帰ったもんかな」
 「どうもこうも、ないだろ」
 「転移の歌、歌えたっけか、俺たち」
 「「…………」」




 「寝てる奴は重いよな」
 「まぁ、寝て待ってろって言ったのは俺たちだけど」
 さてどうしたもんかが目白押しの俺たちに迫った一つ目。
 まぁ、良いんだけどもよ。屋敷は術で作ったものじゃなかったみたいだからそのままあるから。
 あの部屋が血塗れなのを除いたら、まぁ、どうにかはなるんだけどもよ。
 「俺はあっちでレンと寝る」
 「ふざけんなって。子供三人で寝台一つで俺とお前が残り一つをかけて勝負だろ」
 「だってこいつ俺の服掴んで放さないんだもんよ。しかたねぇだろ」
 担ぎ上げて連れてきたは良いものの、どこで寝るかが大問題だった。
 「じゃあ、妥協案はこれしかないな」
 妙案を思いついたとばかりに叶と織田を一つの寝台に載せて掛け布団を肩までしっかりかけてやると部屋を出て。
 もう一つの寝台にごろりと寝転がって、こいこいと手招きをする。
 …………しゃあねぇか。
 「先におはようって言ってもらえた方が剣の師匠ってことで」
 「ぜってーにお前より早く起きてやる」
 「無理に起こしたら反則負けだからな」
 「上等」
 


 どうしたもんかは山積みで。
 考えたって仕方ないようなことばかりだけれども。
 今だけは、せめて健やかな眠りを。