女神は微睡む 10



 寝台から落ちたのは子供のとき以来だ。
 そんなに寝相は悪くない。
 「「レン!!」」
 子供の叫びの二重奏のあとに人が落下した音の二重奏。
 あ、高瀬も落とされたんだなぁ。
 ぼんやりとした頭に徐々に伝わってくる床の硬さ。
 じんわりした痛みに、目を見開いて辺りを見回せば。
 「修、ちゃん、裕、ちゃん」
 「声出るようになったのか!?」
 「良かったなー、レン」
 寝台の上でふわふわした子供が猫目の子供ともみ上げの子供に囲まれてもみくちゃにされている。
 ……ここは、どこだったか。
 「もう少し優しく起こしてくれれば良かったのに」
 「起きたらレンがいなかったんだから仕方ないだろ」
 「せや。慌ててこっちに来たらあんさんらがレン囲んでぐーすか寝ててん。突き落としたってしゃあないやんか」
 高瀬が子供たちの間からふわふわを抱き上げると、女ならころっと落ちそうな笑みを浮かべた。
 「おはよう。呪いは解けたはずだけど身体の調子がおかしいところはあるかな?」
 ふわふわは驚いた顔でぶんぶんと勢いよく首を左右に振ると、困ったように二人の子供を見た。
 …………あああ!
 「レン!」
 「っ! は、はい」
 急に頭の中がはっきりして、俺がどうしてここにいるのか思い出した。
 高瀬に先を越されはしたが、まだレンはおはようと言っていない。
 俺にも勝ち目はある!
 「おはよー、レン」
 「おはよ、う、ござい、ます」
 ぺこり。
 半分寝ぼけたような顔で頭を下げた相手は俺だけではなく。
 その場にいる全員、だったのだった。



 「つーことで転移の歌は歌えない、転移の石も持ってない、馬車も無い、馬もいない」
 「まあ、途中に村があったからそこで馬は借りるとしても、それまでは徒歩だから」
 台所にあった食材で簡易な朝食を作り、念のために昼食も作って気分は遠足だ。
 「修ちゃん、痛く、ない?」
 「あー、ちょっと痛いけど見た目ほどじゃないから心配すんな」
 「裕ちゃん、は?」
 「俺もかさぶたになってるだけや。大丈夫やで」
 力加減が直らないのか、全力で扉と激突した叶の腕が腫れ上がり、それと共に以前の傷を心配し始めた廉はおろおろと二人の間を行き来している。
 ……結構俺たち放置気味。まあ良いんだけどよ、あんまり親しくないお兄さんたちだから!
 「榛名、子供相手に嫉妬してどうするんだよ」
 「うっせー」
 叶と織田にかけられていた呪術は綺麗さっぱりなくなっていたものの、廉に施されていた呪術は根が深いものらしくその根本は取り除けていなかった。
 深い知識を持っているわけじゃないから断言できないが、声は戻ったけれども未だに冥府の輩にとっての目印みたいなものが残っている、らしい。
 「準備できたか?」
 「ばっちりや」
 「じゃ、行くぞ」
 よほど高位の術者がかけたのか、それとも冥府の主自体が印を刻み付けたのか。
 いずれにせよ早く廉を島に連れて行った方が良いことに違いは無い。
 ……ああ、そうだ。
 「なー、高瀬」
 「なんだよ」
 「あいつ、家に帰れると思ってんのかな」
 右手を叶、左手を織田に預けて笑顔で数歩先を行く廉を見ながら俺はふと思った。
 あの手を引き裂くことになるんだなー、と。
 で、三星の領主の家についたらあのお嬢と繋がれるはずの手も引き裂かなければならない。
 「泣かれるよな」
 「多分な」
 「連れて行くしか、ないんだよな」
 島の外にいたら今回みたいなことがまた起きないとは限らない。
 でも、島に一歩踏み込んだら。
 「女神が愛し子を外に出すかって言ったら、多分、早々許可は下りないだろうな」
 「だよな。ただでさえ早かったもんな、探しに行くのが」
 十二席に定められている以外にも女神の祝福を受けた人間がいることは、いる。
 その他にも細工師だとか彫工師、神官に巫人。
 所帯を持つことを禁じられている十二席のために色を売る女。
 様々な商い人たちもいる。多少閉鎖的な島だと言っても生活をするために必要な行き来は認められている。
 けれども。
 「レンと同じ年くらいのガキなんていたか?」
 「利央が二つくらい上だろ? あ、紅玉も同じくらいだったはず」
 「田島かー。微妙だな」
 今までずっと一緒にいた叶と織田とはいられなくなる。
 仲間はできても、友達になれるかどうかはまた別の話だ。



 「レンレン!」
 「ル、リ」
 領主の館に面会を申し入れ、門扉が開いた瞬間に駆け出してきたのはお嬢だった。
 後ろの方から走ってくるのは、多分、廉の両親。
 血を受け継いだことが実に良く分かる親子だ、なんて感動している暇は無い。
 息子を探し出してきてくれた恩人から一気に息子を攫っていった人間へと早変わりだ。
 「廉!」
 「おとう、さん、おかあ、さん」
 親子の感動の再会を邪魔するのは気が引けるが、これが俺たちの仕事なんだから、仕方が無い。
 「あの」
 すいません、と続けようとしたら手をがっしり握られた。
 お、おお!?
 「ああすみませんこんなところで立ち話しちゃって! どうぞ中に入ってください!」
 お、お父さん?
 「た、高瀬どうすんだよ」
 「……俺に聞くなよ」
 驚いたのは俺たちだけではなく、叶も織田も勢いに圧倒されている。
 気付けば大広間に通され、親族一同に頭を下げられ握手を求められ歓喜の涙を流されていた。
 い、言い出し辛いことこの上ねぇな。
 目顔で高瀬に助けを求めれば、あっちはあっちで女中の悲鳴を浴びていた。
 あんにゃろー。
 「元希、さん」
 どうしてくれようかと思っていたら、足元から声がした。
 いつの間にか親たちの輪から抜け出したのか、レンが俺の服の裾を引っ張っている。
 「どうした?」
 「お父さんと、お母さんが、ごあいさつ、したい、って」
 喋ることを長い間封じられていたせいか、元からなのか。
 廉の喋り方は同じくらいの年の子供と比べるとたどたどしい。
 可愛くて良いよなー、とは高瀬の弁だ。
 「分かった。どこだ?」
 とにもかくにも人でごった返している大広間から抜け出し、少し離れた応接間に案内された。
 「この度は息子を助けてくださって本当にありがとうございました」
 「もうなんてお礼を言ったら良いのか」
 駆け寄る廉と、親二人。
 これ以上ない幸せを、今から壊すのは、俺だ。
 「礼なんて、とんでもないです。それに俺は」
 「「廉を、お願いします」」
 言いかけた俺の言葉を遮って、二人は頭を下げた。
 「何、を」
 「この子が首から提げているものを見て、決めました」
 「私たちじゃ、この子を守りきることはできませんから」
 愛しそうにふわふわとした髪を撫でて、二人は俺を見る。
 「ここの窓から島が見えるんですよ」
 指で示された大きな窓からは海が。
 そしてうっすらと島の輪郭が見て取れた。
 「大切な子供を託す方の名前を教えていただけますか?」
 十二席が膝を屈するのは女神だけだと言われてきた。
 確かに俺は今まで一度も女神の他の神官や巫人に膝を屈した覚えは無い。
 けれど。
 「女神の十二席が一、金剛石の騎士の榛名元希です」
 人の人生を預かるだなんて、重荷は。
 預けてくれると言った人の信頼は。
 膝を屈して受け取るに相応しいものだと、思った。


 「榛名さんの言うことをちゃーんと聞くんだぞ?」
 「は、い」
 「高瀬さんの言うこともちゃんと聞くのよ?」
 「は、い」
 叶と織田は廉の両親が責任を持って面倒を見ると言い張り、二人もその申し出を受けることになった。
 お嬢と良い友達になりそうだとお嬢の両親が言っていた。
 確かに面白そうだな、と俺も思った。
 「まぁ、永遠の別れでもないからそんなに泣くな?」
 泣きはらして真っ赤になっている目の縁を親指の腹で押さえてくしゃりと髪をかき混ぜる。
 俺の言葉に驚いたのか、淡い色彩の目がじーっと俺を見ている。
 「一人前の十二席になったら島の外の仕事もできるから、立派な大人になってまた島に来れば良いんだよ」
 にっこりと高瀬が笑いかけると廉は顔を赤く染めた。
 ……気に食わないことに廉は高瀬の笑顔に弱いらしい。俺だって男前だってのに。
 「また、会える、の?」
 「会うために修行しような」
 「は、い!」
 涙の別れではなく笑顔の別れとなったところで船は出た。
 


 報告書に書くことは山のようにある。
 それよりも先に綺麗な字を書く練習をしないといけない。
 毎月一通は必ず。
 手紙を出す必要性が生まれたから、だ。