女神は微睡む 幕間1 「りーおー!」 とびきり元気な、そして小さな嵐を巻き起こす声が十二席が事務を行う職場に響いた。 というか声の主も呼ばれた相手も十二席なのだけれど、まだ煩雑な仕事をする必要がない年齢。 というか子供。齢十二ほどで、十二席に封じられてから日も浅いため彼らに仕事というものはない。 「あー! 田島!」 「な、今日すげぇ夢見たんだ! 船着場に行こうぜ!」 「船着場ぁ? なんかあんのかよ」 「行ってからのお楽しみ!」 歳が同じこの二人はよく連れ立ってどこかに姿を消し、そのたびに騒動を巻き起こすのだが。 「……紅玉の。一人でここまで来たのかい?」 「うん! 花井撒いてきた!」 「へー、やったじゃん田島!」 どうやら監督者の目をすり抜けて勝手にここに来たらしい。 生真面目な性質の彼はまた胃を痛めているに違いない。 「おや、栄口と泉は出てるのか」 「和さん、どうかしたんですか?」 「ああ、ちょうど良い。留守は俺が預かるから、秋丸、そこの二人と船着場に行ってきてくれないか」 十二席の一、柘榴石の騎士の河合和己さんに子供の引率を言い渡されたのは。 俺、十二席の一、翡翠の騎士の秋丸恭平。 「秋丸もついてくんのか?」 「きょーへーさんもくんの?」 「らしいね」 理由は良く分からないが、まぁ、思い当たる節が一つ無いわけでもない。 「早すぎませんか? 一昨日出かけたばっかりですよ?」 「何、幸運が上手く作用したんだろうさ」 和さんの言葉で俺の予感が的中していたことが証明された。 恐らく田島君のいう面白いこと、もこれに違いない。 「おいてっちゃうぞー!」 「ちゃうよー!」 「はいはい。今行くよ」 何はともあれ手を繋いでいられるほど大人しくない子供たちの背中を見失わないように俺は港に急いだのだった。 「お、出迎えか?」 「田島、面白いのって榛名かよー」 「うんにゃ! あ、ほらめーっけ!」 船から下りてきた榛名をあっさり無視した子供二人は榛名の背に隠れるようにしていたものを見つけた。 「あー、俺と同じふわふわだ!」 「だろ? なぁ、お前真珠? 名前なんてーの?」 大きな声を上げられた子供は榛名にしがみついて縮こまる。 随分榛名に懐いているようだけれども、人見知りする性質なのだろうか。 ふるふると震えて顔を上げようともしない。言葉よりも行動が雄弁だ。 「おかえり、榛名、高瀬。その子が?」 「おー。おいレン、こいつら別にお前のこととって食いやしねぇから安心しろ?」 足にしがみついていた子供を抱き上げ、田島君と利央君とを見下ろせるようにしてやる。 ……うわ。 「高瀬、あれ何?」 「息子を頼みますってされた結果。ずっりーよな、親御さんから廉託されてんだよ、榛名」 「ああ、そう」 首にしがみついたまま固まってしまっている子供、つまり真珠の柔らかそうな髪を笑顔で撫でる榛名。 ……一昨日までは想像だにし得なかった絵面に、俺の頭は拒否反応を起こしそうだ。 「榛名だけずりーぞ!」 「そーだそーだ!」 「だよなー。もっと言ってやれ田島、利央」 「お前が煽ってどうするんだよ。まぁ、とりあえずそのままで良いから職場に帰ろうか」 上機嫌な榛名にそう言えば、にたりと笑って俺に近寄ってきた。 「廉、このお兄さんなら平気だろ?」 榛名の優しい声にふわふわの頭が持ち上がって涙に濡れた淡い色彩の目が俺を一瞬だけ見た。 「秋丸、あっちに着いたらこいつの右腕に浄化かけてやってくれ」 「……どういうことだ?」 「説明は全部後回し。うら、お前らもいつまでも俺の足元に引っ付いてるんじゃねぇ!」 「準さーん、榛名が怒ったー!」 「秋丸秋丸! 俺もあれやって!」 考える余裕もない。 田島君を抱え上げると、彼は精一杯手を伸ばして真珠に触れた。 正しくは、表面張力を超えた両目から零れだした涙に。 「どっかいてぇの?」 「ち、ちがっ」 初めて耳にする声は小さく、頼りない。 「んじゃ俺が嫌?」 「そうじゃ、ない」 「んじゃ利央?」 「なんだと田島!」 「利央、ちょっと黙ってろ」 小さな手の小さな指で涙を拭い、真っ黒な大きな目いっぱいに真珠を映しこむ。 「ちがっ」 「んじゃ手繋いでいこーぜ。面白いもんいっぱい教えてやるからさ!」 にかっと笑みを浮かべ、真珠から手を離すと俺の腕からも下りる。 今度は下から目一杯伸ばされる腕。 揺れる目が、笑顔の上で止まった。 「元希、さん」 「しかたねぇなぁ」 ほら、と至極丁寧に下ろすと、くしゃりと髪をかき混ぜて笑う。 榛名がこんなに子供に笑顔を向けるのを、俺は初めて見た。 「真っ直ぐ帰れよ? そいつに怪我させたらただじゃおかねぇからな」 「分かってる! ほら、利央も!」 「おう!」 二人の子供に手を引かれたそれよりも一回り小さな子供の影があっという間に雑踏に紛れていく。 多少気がかりではあるが、あれでいて約束はしっかり守る子供たちだから、まぁ、大丈夫だろう。 「で、なんで浄化なんだ?」 自分たちの速度で職場に向かいつつ、最大の疑問を口に出す。 対物浄化が得意なのは榛名。対人浄化を得手としているのは確かに俺だけれども。 「あの子には呪術がかかってたんだ」 「呪が? あんな小さな子に?」 「最悪なのは冥府の主自身が刻んだんじゃないかって考えられるくらい根が深い印なんだけどね」 「女神に対する宣戦布告かな」 「さぁ? そこまでは俺には分かんなかったけど、あれが身体を蝕む危険性があるものに間違いはないはず」 俺の問いに答えたのは高瀬で、榛名は適当な相槌を打つばかり。 「ちなみに、彼にかけられていた呪ってどんなものだったんだ?」 「奪声の呪」 「…………そう」 声よりも態度で思いを伝える子供だな、と思ったのはそれに起因するのか。 「俺のできる限りを約束するけど、俺の力じゃ根本を消すまでには至らないと思うよ」 「それでも、あいつを苦しめる力が少しでも減るならやる意味は大いにあるだろ」 口を開いた榛名から飛び出した言葉は、強い怒りを滲ませていた。 女神が何を考えて健康と長寿なんて祝福を俺に齎したのか、良く分かっていなかった。 それでもこの力で救える何かがあるのならば、俺はそのためにこの力を惜しむつもりは欠片もなかった。