女神は微睡む 真珠喪失編1





 これまでに何度か経験した、身体の奥底から湧き上がる喜びの、すぐ後に。
 抉られるような、喪失感。
 一度だけ経験したそれは、先代の真珠が失われたときのそれと似ている。
 けれど。
 「……なあ、和己」
 「どうした、慎吾」
 「まだ、繋がってる感じがする」
 「……そうだな」
 あのときは、根こそぎ奪われた。
 ごっそりと。大きな存在だったから、余計にその穴は埋めがたかった。
 良い人だった。和己に主席を託して、ひっそりと息を引きとった。
 先代真珠が失われてから十年。戻ったのは数秒のこと。
 ……小さな子供。抱き上げた重みがまだ思い出せるほど。
 「まだ、望みが潰えたわけじゃないってことじゃないかな」
 「どういう意味だ?」
 「あの子は真珠になってから奪われた。でも、まだ取り戻せるんだと思う」
 十二席同士であれば感じ取れる、その絆、繋がり。
 親石を通して、半身を通して、意思の疎通をすることも可能な。
 「双刀の片割れが、真珠を守ってるってことか」
 「あの子はまだ半身の扱い方は知らないから、呼びかけには応じられないかもしれないけどね」
 「……二人は金剛石に、榛名に任せても良いと思うか?」
 女神が眠りに堕ちたと神女から聞かされたのは、異変を感じて神殿に詰め寄ったとき。
 理を曲げてあの場にいた十二席全てが奥宮より更に深い懐に飛び込んで。
 目にしたのは、小刀を両手で抱きこんだ金剛石の騎士と、痛みを堪えた表情の神女。
 金剛石はあの場から決して動こうとせず、誰もそれを非難しなかった。
 「今の状態の榛名一人には任せらんねえな」
 初めて会ったときの榛名は、全てを失って、全てを呪っていた。
 何年もかけて、そして真珠を、守るべき者を再び得たことでようやく呪縛から解き放たれていたのに。
 二度目の喪失は、大きすぎた。
 「あの榛名の相手をできるのって、彫工師の彼くらいだろうけど」
 「六席どもも黙ってないだろ」
 「準太も引き下がらないと思うよ」
 「あとはちびどもか。……どうする、石榴」
 女神が不在の今、十二席に対する責を負うのは主席である柘榴石の騎士。
 責を引き受けるその補佐となる次席の紫水晶と橄欖石は、石榴の意思を、和己の言葉を待たねばならない。
 「……女神の懐に十二席を集合させる。話は、それからだ」
 命が下されたそのときに、他の十二席の反論を封じることで、石榴の負担を減らすのが俺らの第一の責だから。





 「第五席は翡翠がその任を、第九席は蛋白石がその任を、紫水晶は第四席を兼任するように」
 「……どういう、意味ですか」
 掠れた声を最初に上げたのは、金緑石だった。月長石は黙したまま、けれど石榴から視線を動かさない。
 石榴が、和己が下した命を即座に理解したのが、金緑石と月長石だったということだ。
 ちびどもは意味が分からないとでもいうように首を傾げ、表情を凍らせたのは名を呼ばれた者。
 「言ったとおりだ、金緑石の」
 「どうして六席が無視されるんですか!」
 「金剛石の力は冥府の輩に最も作用する。翠玉の幸運は確かな希望となる。青玉の剣の腕を、金緑石の、君が知らないわけじゃないだろう?」
 「それでも」
 「女神不在の今、島を凡そ三分の一も十二席を離れさせるわけにはいかない」
 和己の、否石榴の言葉は正しい。
 まあ、剣の腕なら黄玉と藍玉も優れているが、守りの要を失うわけにもいかない。
 「や、真珠探しなら俺より第六席の二人の方が向いてると思……いますけど。石榴の」
 「探す力は半身の片割れという道具がある以上向き不向きはないと判断した」
 正しさには、感情で戦っても勝ち目はない。
 真珠の奪還は、十二席であれば誰もが望むこと。
 そこに感情が入り込む余地はあってはならないし、元から必要ない。
 「……俺には、真珠の位置がつかめないんですよ、石榴殿」
 「それも承知の上だよ、青玉の」
 ため息を一つ、青玉は石榴の命を受諾した。
 問題は。
 「俺には今の榛名が廉の奪還に必要とは思えないんですけど」
 「……翡翠の」
 「だって和さんそうでしょ。ああやって自分から動き出さない奴に何ができるんですか」
 身じろぎ一つせず、ましてや声一つ上げない榛名だ。
 まあ、俺だって目の前で、それも腕の中の子供を掻っ攫われれば茫然自失状態にはなるかもしれない。
 理解できなくはない。
 それでも。
 「榛名さあ、いつまでそーやってんだ?」
 「田島、おい!」
 「だってさー、守れって言われて守るって言ったんだろ。約束だろ、女神と」
 大人しくしてたはずのちびどもが榛名を囲む。
 囲むといっても膝をついて下から覗き込むだけだが。
 「俺たち一緒に住むんだからな! 廉、連れて帰ってきてよ」
 「一緒にいっぱい色々すんだからさ」
 「……俺も、真珠と一緒に遊びたいから」
 紅玉と珊瑚と赤縞瑪瑙。
 石の色にかこつけて赤ちゃん、なんて呼んでたちびどもの両手が。
 「ちびども、その手どうした?」
 「「「せんべつ!」」」
 項垂れている榛名の頭上から。
 赤の、雨。
 「ってえ、なあ」
 「子石、たくさん作ったんだぞ!」
 「真珠に会えるまで持つようにって、作ったんだ」
 「だからさあ、榛名。金剛石の騎士、さあ。……廉と一緒に帰ってこいよ。待ってるから」
 「良い子にしてるから! だから」
 「真珠に会わせてよ、金剛石の」
 大小様々だけれど、強い力が込められたものばかりであるのは、一目見て分かる。
 願いが込められた、子石の雨。
 一時的に代償として他の騎士の持つ力を使うために必要な道具。
 「榛名」
 煩げに上げられた顔の、鼻先に。
 親指の爪ほどの石を落とす。
 「いってえって言ってるじゃ」
 「お前に課せられた命は? お前が自分自身に課した命は?」
 「あ、俺も。はい、榛名」
 「っ、山ノ井の旦那まで!」
 ばらばらと、降り注ぐ色とりどりの雨。
 願いの雨。
 「俺たちは帰ってくる場所を守るから、榛名たちは帰ってくれば良いんだよ」
 「……俺が」
 「ほら、さっさと立ち上がらないと拳大になるよ?」
 「は? っぶ、ねえ、な!」
 ぶんと、凄まじい音を立てて榛名の左の拳に吸い込まれたのは特大の金緑石。
 投げつけた泉は既に踵を返して女神の懐から出て行った。
 「榛名さん、これも」
 「……栄口」
 「本当は顔面にぶつけてやりたかったんですけどね。……よろしく、お願いします」
 さらさらと小さな欠片たちが榛名の頭上から降り注ぐ。
 どれもこれも、願いを託した、欠片たち。
 「金剛石の騎士、翠玉の騎士、青玉の騎士の三名に十二席主席として命じる。必ず真珠を奪還せよ」
 
 
 


 願いは、託された。