女神は微睡む 真珠喪失編3 「……うわぉ」 「お前もう少しまともな挨拶の言葉は無いのかよ」 「久しいですね、電気石の騎士殿。蛋白石の騎士ただいま参上仕りました」 「……………………」 「なにその態度。ちゃんとした挨拶しろって言ったのは花井でしょ」 「想像の遥か斜め上を行ったから反応が遅れた」 「想像の遥か斜め上はこっちだよ。なにあの光景は」 「見て分かるだろ。お片づけ、だ」 「雨が降るよ!」 柘榴石殿が、河合さんが落ち着いたかと思いきや泣きじゃくり始めたちびどもにこう言った。 『良い子にしていればすぐに真珠が帰ってくる』 その言葉を真に受けるほど、事態はそう容易いことではないと分かった上で、なお。 泣きじゃくっていたちびどものうちの一人、表面上は俺と水谷が責任を持って預かっている田島は。 いつも散らかしっぱなしだった遊びの道具をきちんと片付け始めた。 今まで何度言ったところで転がりっぱなしだった鞠や積み木。 中身が空だった箱。 それがようやく遊び道具が入った箱として機能し始める、らしい。 「え、もしかして朝ちゃんと起きた?」 「きちんと自分の布団まで干した」 「うっそぉ」 「雨が降らなくて良かったな」 「ほんっとだよ」 朝から出かけると一言夕べのうちに言い残していた水谷にもぜひ見せてやりたかった。 そして聞かせてやりたかった。 『俺、良い子になる』 あの発言を。十二席になると言い切ったあの時と同じ目をしていた、田島の姿を。 まあ、水谷がこの家を使うのは珍しいというかほとんどなくて。 だからこそ俺だけが田島の保護者だと認識されていて、でもって田島や大体の十二席がそう認識している。 「たーじま、お土産あるんだけど」 「あ、水谷だ。何、土産って」 「はい、これ」 「?」 水谷が懐から取り出したのは小さな皮袋。 首を傾げながら受け取った田島の目が大きく見開かれた。 小さな手でその小さな袋を握り締めて、しゃがみ込む。 いつだって一箇所に留まってなんかいられない小さな台風が、声も上げず。 大人しくなるなんて、一体何が起きてるんだ? 「水谷、何を渡したんだよ」 田島を見守る水谷は、田島に渡したのと同じような小さな皮袋を俺の手のひらに落とした。 「それ、花井のじゃないから開けちゃだめだよ?」 「それじゃ何が入ってるか分からない……」 「分からなく、ないでしょ? 繋がる力が大きければ大きいだけ、もしかしたらと思ってさ」 袋越しにも伝わる、強い願い。 直接会話をしたことが無ければ、触れたことも、ましてや抱き上げたことも無いけれど。 「真珠、か」 「これがあれば良い子になってくれるかなあと思ったんだけど、なくても良い子だったね」 「だな」 がばっと上げられた顔は涙まみれで鼻水だって垂れている。 でも、しっかりと水谷を見据えて。 「ありがと、水谷」 「どういたしまして」 ぎゅうと握っているのは良いけれど、あれじゃ何かと不便だろう。 万が一失くしたり、落としたりしたら酷く落ち込むのが目に見えている。 「水谷、これから届けに行くのは」 「子供たちのところと探しに良く人たちのところだけど?」 「そうか、なら」 水谷から借りた袋を返して、手頃な長さの紐を見つけて。 短めのものを二つ長めのものを三つ、口の開閉の邪魔にならないように括り付ける。 「こうしておいた方が、特に子供たちには良いだろ」 「あー、確かに。ありがとね、花井」 「俺も!!」 「分かってる。貸してみ」 きらきらと輝く両目の圧力に負けるのは、誰だって同じことだった。 「あれ? 真柴君一人でどうしたの?」 「お、れは、別に利央とか田島と違って一人でちゃんと」 「うん、それは知ってるけど。そういう意味じゃなくて。もうそろそろお昼の時間だよってこと」 山ノ井さんとか青木さんとか、それこそ河合さんはどうしたの? と。 にこにこと笑顔で俺の目線の高さまで屈みこんでくるこの人が。 俺は、あんまり、得意じゃ、ない。 この人だけじゃ、なくて。 神殿、出身じゃない人とは、今までは、あんまり話をしてなかったから。 「今みんな、忙しいから」 「そっか。そうだよね。じゃあ俺と一緒に来てくれる?」 「は、い?」 「俺ね、お届けものの途中で手伝ってくれる人を探してたんだ」 「届け、もの」 この人は本当はそんなことを主な仕事にしてるわけじゃない。 島の中だけじゃなくて、外でも、たくさんの工房や店に出入りして、監視の目を光らせてる人だ。 どうして気付かれないんですかって、一回和さんに聞いたら、そういう奴なんだって言ってた、けど。 「俺ね、朝から動きっぱなしでお腹減っちゃったんだよね。だからまず腹ごしらえするの。良い?」 「はい。でも、なんで」 俺なんですかって、聞く前に。 俺の手を引いて、くれた。 大人の中じゃやっぱり歩き辛いし、利央とか田島みたいに大きな声出してたら気付いて避けてくれるけど。 俺は、そんなに騒がない。もう、子供じゃないんだから。 「一人で食事しても楽しくないでしょ。それに真柴君にはお願いしたいからね、お届けもの」 俺がお願いしたくて食事で釣るんだからそんなに難しいこと考えなくて良いんだよ、と。 俺の足の長さに合わせて、歩いてくれる人は、あんまりいない。 「蛋白石、殿、は」 「そんな畏まらなくて良いよ。俺だって真柴君って呼んでるでしょ」 「……水谷、さんは」 「うん?」 「真珠、と話しましたか」 俺はあまり知らない。ただ一目見て、ああ、この子は真珠だって、そう思った。 だから一緒にいたいと思った。それだけ。 利央や田島は一緒に遊んだって、聞いて羨ましく思った。 「真珠前にね、こうやって一緒に歩いたよ」 「どんな、子ですか」 「一緒に遊んだら分かるよ。それまでお楽しみ」 目下のお楽しみはお昼にしようね。 そう笑って、水谷さんは真珠の話題を、終わらせたんだと思った。 のに。 「ごちそうさまでした」 「じゃあ一休みしてからこれを利央君に届けてくれる? あ、こっちは真柴君の分」 「…………これ」 「すぐに会えるよ。それまで、少しでも繋がれたら、ってことで」 てのひらに落とされた、皮袋。 見なくたって分かる、中から伝わってくる願いと思いに、涙が出てきた。 ……いますぐ会いたい。真珠って、呼びたい。一緒にいたい。 「利央、なら、もっと繋がれます。きっと」 「そうだね。見えたもの、感じたもの、高瀬さんに伝えるようにって伝言もよろしくね」 「はい!」 本当に少しだけしか一緒にいられなかった。 どんな奴なのかも、ちゃんとは知らない。 でも、十二席だから。 呼び合う絆が、あるから。 真珠、ねえ、俺は君の名前を知らないんだ。