女神は微睡む 真珠喪失編4 捉え所が無いという点においてはある意味山ノ井さんや島崎さんと並ぶ。 外見がそれをことごとく裏切っているので、警戒されない。 その自らの特性をとても活かしている、と俺は思ってる。 「ええと、秋丸さん。そんなにじーっと見つめられると文貴困っちゃうんですけど」 「君でも困ることってあるのかな?」 「ええそれはもう! ものすごく!! ので通してもらえると嬉しいなあ、なんて」 「俺はとても友好的にこの道を譲歩してるんだけど通らないのは水谷君の意志じゃないの?」 「あーいやー、一歩踏み出したらなーんか起こりそうで踏み出せないんですよねえ」 「はじめの一歩を踏み出さないと何も変わらないって良く言うよ」 「俺的には踏み出したくない一歩なんですけどー」 「……秋丸、水谷で遊んでどうする。水谷、こそこそ動き回るからそういうことになるんだぞ」 「えーちょっと河合さんその言い方酷くないですかー?」 「そうですよ和さん。俺は遊ぶんなら可愛い子と遊びます」 和さんの苦笑は俺と彼とどっちに向けられているのやら。 釘を刺していることに変わりはないのだろうけれど。 「で、どこに遊びに行ってきたんだ?」 「阿部のとこにちょこーっとお邪魔してきました」 「阿部君? ああ、タカヤ」 「お届け物係してるんですよ。こそこそはしてないです」 「届け物、なあ。蛋白石のにはそんな依頼をしたか?」 和さんが柘榴石殿にかちっと切り替えて水谷君に微笑む。 基本的に和さんは温和だ。というかお父さんだ。榛名のやんちゃやお子様たちのいたずらにも目くじらは立てない。 怒るときはしっかり怒るけれど。 でも、柘榴石殿は違う。十二席を統べるその役職がどれくらい重いものなのか俺には分からない。 その役職を全うすること、補佐が二人いること。 女神の不在。 このどれもが十二席の主席の重みを推し量る材料になっていて、他の誰も肩代わりできないこと。 それくらいしか分からない。 「ええと、動いたのは水谷、です」 「そうか。終わったのか?」 「え、あ、動いてるのが水谷です。で俺が個人的にしたくてしてることなんで阿部への追及は全部俺宛で」 蛋白石としてではなく個人で動いていることを断言した水谷君は、ほう、とひとつ息を吐き出して。 ぺこりと頭を下げた。 「ので個人的なお願いでそこ通して下さい、秋丸さん」 「珍しいね、水谷君が自分のために動くのって」 「やだなあ俺はいっつも自分のためにしか動いてないですよー」 上げられた顔はもう既にいつものへらりとした水谷君に戻っていた。 うーん、残念。もう少し踏み込めるかと思ってたのに、意外と防御が堅い。 「じゃあそういうことにしておいてあげるよ」 「ありがとーございます」 へらへらっと手を振って、真珠が、廉君が連れ去られてからも変わらず彼は彼に課せられた仕事をこなす。 ……違う、廉君がここに来る前よりも仕事の量が増えている。 監査の書類を片手に職場を出た彼の勤務態度が向上したのは、さていつごろからだったか。 「和さん、楽しそうですね?」 各十二席の正確な仕事量を把握しているのは、報告書を上げられる立場の和さんと補佐の二人。 とはいっても慎吾さんはここに寄り付かないし山ノ井さんもふらふらしてるから、和さんしか知らないと思う。 「ちびっ子たちの願いを叶えるために、お兄さんは大忙しだ」 「ああ、それか」 「三人の分は振れる奴に振るからな。秋丸も頼むぞ?」 「可愛い弟分たちの笑顔を見るために頑張れお兄ちゃんたち、を合言葉にしましょうか」 十二席が皆島に揃っていられる、なんて滅多にあることじゃない。 それでも一緒にいたいという願いを叶えるために、その責を少しずつでも分かち合うことはできる。 「慎吾と山ちゃんにも捺印くらいはしてもらわないとな」 島の中央部から少し離れた場所。職場や港、職人通りもそれに伴って遠くなるけれど、一つの建物。 少し古びたそれの原型は崩さずに中の改築を始めたのだと言うことは、まだ胸の中に秘めておく。 帰ってくる場所の準備は着々と進んでいる。 誰が、と限定はしない。皆が。 「やーっと見つけた。もーなんで旅支度するのに自分の家にいないんですか」 「「水谷」」 「あれ? 全員集合かと思ったら榛名さんいないし」 「別に俺らもここで偶然会っただけだぞ? なあ浜田」 「そうそう。で、なんか用があるんだろ?」 俺なんかが本当に行って良いのかなってまだ思ってるし、あの後も河合の旦那に言ったんだけど却下された。 ……俺は、真珠に関わるべきじゃない。 女神との絆を自ら絶って、今も尚騎士の力の一部は失われたままの俺が。 女神の愛し子を奪還する一員に加わって良いわけがない。 それにあの子供は。 「はーまだ、手出して」 咄嗟に手を出せば、乗せられたのは小さな皮袋。ちょうど首から下げられるくらいの紐が付いている。 「? ああ……なんだ、これ」 「はい、高瀬さんも。これ、餞別っていうか脅迫なんで」 「……廉の、子石か」 「託された願い、込められた願い、叶えたい願い。そのどれもが詰まってます」 俺はあまり島には居ついていなくて、だからあまり知らないのだけれど。 多分、水谷はこんなに真面目な顔で言葉を口にすることがあまりなかった、はずだ。 「水谷」 「榛名さんにも、渡しといてくれますか? 俺、ちょーっと忙しくなっちゃうんで」 俺のてのひらの上に追加された皮袋。 それを落とす手が、僅かに震えているのはどうやって見過ごせばいいんだろう。 ……どうして、俺が。 「忙しくなるってほど、俺ら仕事してなかっただろ」 「いやだなあ高瀬さん。しょーじき俺今この書類抱えてなかったらこの両手が何するか分からないですもん」 にっこり笑って、目が笑っていない笑顔が人混みに紛れるまで息を吐き出すことさえできなかった。 「……高瀬、水谷ってあんな奴だったっけ?」 「弟馬鹿が増えたってとこだろ。あー、早く廉抱きしめてやりたいな」 「抱きしめる、ねえ」 あの色彩を忘れるはずがない。 どうして誰も結び付けないのか分からないけれど、名前なんて聞かなくてもすぐに分かった。 あの子が忘れているだけで、俺は覚えてる。 「言いたくないなら言わなくても良いけど聞いてやらないこともないぞ」 「? 何を?」 「お前何か隠してるだろ。こじれる前に言っちゃえよ」 口調は軽いもののはぐらかされてくれそうにない。 嫌な兄ちゃん増えたなあ。ちょっと島を空けてるとやれおちびどもがよじ登ってくるし、書類の束が降ってくるし。 頼もしい方向に同僚は成長してるし。 「これ渡しがてら榛名にも話すからさ、殴られそうになったら助けてくれる?」 「お前どんだけ隠してんだよ」 「けっこー重いのよ、俺の心の荷物って」 「はいはい」 託されてしまったからには断ることもできない。 てのひらを伝う熱量は、そのまま真摯な願いになって心に届く。 一緒にいたい、ただそれだけ。 その『一緒』の中に俺は入れてもらえなくなるかもしれないけれど。 二度目はない、と。 同じ過ちを二度と繰り返しはしない、と心に誓ったから。