女神は微睡む 真珠奪還編1


 


 「それじゃあ行って来るわ」
 誰にともなく、そう告げて。
 久しぶりの島からの遠出は、えらく天気が良くて順風満帆。
 これ以上はないってほど最高の出発日和。
 最初の目的地は、高瀬の勘で東の方の国に決めた。
 幸運がどれだけ強い力なのか、言ってる本人があれだからいまひとつ分からねえけど。
 なんとなく、でもそのなんとなくに根拠があった方が動きやすい、って。
 まあ、気の持ちようってやつだ。
 「つーか癒してもらえよなあ、そういう目立つのはよ」
 「殴ったのは榛名だろー」
 「島ならまだどうにかなるけど外じゃ目立つだろうが」
 「だーかーらー殴ったのは榛名だって」
 「殴らせたのはお前だろーが」
 「……お前ら少しは休んでたら? あっちに行くには潮の流れの関係上丸二日かかるんだからさ」
 派手な顔の浜田を派手な顔にしたのは確かに俺だけれども。
 殴られるようなことを言う方が悪い。
 「つーか、煩い。変なのに絡まれたらどうすんだ」
 「叩きのめす」
 「後悔させる」
 「物騒なこと言うなって。あー、もう一人突っ込み役が欲しかった」
 いざとなったら一番お前が物騒だろうがってのは心の中でだけ突っ込んでおくことにして。
 進行方向を睨みつける。
 まだ陰も形も見えないけれど、なんとなくそっちっぽいらしい目的地。
 早く陸に上がりたい。冥府の僕どもと一戦交えて情報を搾り出したい。
 「榛名、すっげぇ目が輝いてっけど?」
 「戦闘のときだけは頭数に入れてやっからよ」
 「もうちょっと穏便に情報収集したいなあ、俺は」
 青く輝く海を切り裂いて突き進むこの船の速度が遅いってんじゃないけど。
 気持ちばっかりが焦る。
 冥府の輩が、レンを欲しがってるんだとレンを捕らえていた下級の僕がそう言っていた。
 女神の愛し子の真珠を欲しがる理由は探せばいっぱいあるんだろう。
 既に女神は俺たちの前から姿を消した。
 女神の力を殺ぐことが目的なら、あの瞬間にもう叶っていたはずだ。
 レンが真珠になる前に。
 ……完全なる消滅を狙っているんだとしたら、話は別かもしれない。
 女神に何かするための布石として真珠が選ばれたとしたら。
 「榛名、何難しい顔してんだ? 雨が降るだろ」
 「え、榛名ってそうなん?」
 「だって榛名だぜ、浜田。榛名が考え事って花井が大爆笑くらいないじゃん」
 「なるほど」
 「そこで納得するんじゃねえよ浜田! てか高瀬!」
 「なんだよ」
 「俺だって考え事くらいするんだよ!」
 ちっくしょ、考えてたのがぐっだぐだになっちまったじゃねえか。
 なんか掴みかけた気がしたってのに。







 温かいものをたくさん知った。
 知っていたけれど、忘れてしまっていたものをたくさん知った。
 名前を呼んでくれる人がいること。
 その人の声にこたえることができること。
 諦めてしまっていたそれを、取り戻してくれた人がいた。
 それなのに。
 また、声が出ない。
 大きな声で叫んでいる、はずなのに聞こえない。
 何も見えない。
 目は見えている、はずなのに何も見えない。
 力強く抱きしめてくれていた、温かい腕が。
 あったはずなのに、何も感じない。
 (ここは、どこ、だろう)
 考えようとしても、どろどろとした何かに邪魔されて頭が動かない。
 何も聞こえない見えない感じない。
 じわじわと浸食してくる何かに抵抗すらできない。
 (……さ、ん)
 心の中で呼ぶ、大切な人の名前も。
 さらさらと砂が零れ落ちるように、記憶の中から零れ落ちていくのを止められない。
 涙が零れているのかさえ、もう、分からなくなってしまった。