女神は微睡む 真珠奪還編2 天気は快晴で順風満帆。予定より早く陸に着けたけど気ばっかり急いたって仕方ねえっつうんで今日は港町で一泊。 顔に青あざ作ってる浜田のせいで表通りの宿を取るわけにはいかなくて、仕方なく一本中に入った小さな宿を借りることにした。 癒せば済む話だけども、俺も高瀬もそっちは専門じゃないし止血程度しかできた例がない。 ので無駄な努力は止めて、その代わりに浜田を宿に留守番させて情報収集することにした。 のは良いんだけども。 「なーんでむさ苦しい野郎にばっかり当たるんだ、俺」 高瀬はさっき大通りで街の綺麗どころやら女どもに群がられてたって言うのに、なんでだか俺は。 「ぶつくさ言ってねえでかかってこいや!」 人のことを言えた義理ではないれけれど、柄の悪い奴らに囲まれていた。 ご丁寧にも人通りが皆無の裏路地。でもって当たり前ではあるが土地勘がないと来たものだ。 逃げるという選択肢は元からないが、飯の前に疲れるのも面白くない。 かといってここで半身を呼び出して暴れるのも得策じゃない。 (留守番させなきゃ良かったなあ、浜田) そうしたら浜田を置き去りにして表通りに戻れたのに。 (つか眠たいんだよな、本気で) 毎日温もりを抱き枕代わりにして安眠していたからか、あの体温がないとどうにも熟睡できなくなっていた。 「おい! 聞いてんのかぁ!?」 「うっせえなあ、俺は機嫌が悪ぃんだよ。怪我したくなかったらとっとと失せろ」 「んだとこら。やっちまえ!」 殴りかかってくる巨体をかわしてはぁ、と大きなため息をつく。 体を動かせば眠れる、というのでもないだろうけれども。 「やられんのはてめぇらの方だっつの…………っ!」 外套を翻して突っ込んでいこうとした瞬間に、なめし皮の鞘に入れていたそれが急に熱を持った。 服を燃やして肌を焦がすほどの熱量に違いないのに、何も傷つけずにただ、熱い。 「榛名!」 「高瀬?」 「って何やってんだよお前は。あーほら、散った散った!」 さっきまで女どもに囲まれていたはずの高瀬が急に姿を現したかと思ったらいきなり炎の渦を呼び出した。 慌てふためいて散っていった輩にはその正体は分からないだろうが民家が密集しているようなところで本物の炎を使うはずがない。 「紅玉と月長石か?」 「小さいのだけどな。驚かすだけなら十分だろ。それより榛名、廉の半身見せろ」 「は?」 「良いから! とっとと出せ!!」 常にない高瀬に気圧されつつ、懐のそれを取り出すと鞘の内側から光が零れているのが見えた。 目顔で促され、恐る恐る引き抜くとあっという間に光も熱も消えていく。 まるで何事もなかったかのように、半身は日光を反射していた。 「へえ、じゃあ高瀬は真珠の半身に呼ばれたってことか?」 「呼ばれたっていうか、そんな気がして走ったら榛名のところに着いたって感じだったけどな」 高瀬が宿の女将に色目を使ったおかげで山盛りの食事にありつくことができた。 顔面青痣の浜田も部屋でなら気兼ねなく食べられるので、色々言いたいことはあったけれども黙って大皿から肉を小皿に取るかと思いきやそのまま口に放り込む。 再び懐に戻された半身が熱を帯びることはなく光り出すこともない。 先程の光景の方が信じられないような気にもなってくる。 けれどあの体験は榛名一人の白昼夢ではなく現実。 高瀬を『呼んだ』のが今は沈黙を守っているこの半身の為したことであるならば、それは。 「真珠の意思、って断言する材料は少ないけどそう思いたくもなるな」 揚げた白身魚に野菜のあんかけがかかった皿を独占している浜田に頷く高瀬。 頷きしか返さないのは香ばしく焼きあがった鶏の足に噛り付いているからであって決して神妙なのではない。 無言を通している榛名は牛から取った出汁で炊き上げ、上ににんにくのたれで漬けられ半生状態に焼かれた牛肉の丼に夢中なだけである。 閑話休題。 「普通は呼べば来るのは半身の方だよな? 俺のは違うけど」 「そんなもん腰に佩いてるせいで余計に怪しまれてるけどな」 「仕方ないだろ。こうなっちゃったんだもん。でも半身が十二席を呼ぶ、なあ」 手巾で拭った手で浜田が榛名の懐を指差す。 一瞬躊躇うものの、ゆっくりと引き抜いて浜田の手に渡った真珠の半身の片割れは皮の鞘に納まって大人しくしている。 「……ってこれ、違うじゃん」 「「は?」」 「これ、船に乗る前に見せられたのと違う」 鞘から抜いて眺め眇めつしていた浜田の声に二人の手が止まった。 違う、と言われても勝手に入れ替わるはずがない。 榛名がそれこそ肌身離さず持っていたのに、どこでどうやって入れ替わることなどできるというのか。 その本来の持ち主が、いないのに。 「どういうことだよ」 「真珠の双刀は左右の別があるってこと」 「そんなもんあったか?」 「俺は気付かなかったけど」 「あったよ、ちゃんと。諸刃は諸刃だけど、若干弧を描いてるだろ、これ」 浜田の指を追う二対の目に明らかにそうと認識されなかったが、ほんの僅か。 反っている方を外に向け、柄と刃の間に半身の半分が上になる方が本来の右、若しくは左になるという。 「だからこれは右だな。出てくる前は左だったけど」 「ほんとかよ」 「嘘言ってどうすんだよ。まあ、なんで入れ替わったのかまでは分かんないけどさ」 やっぱ真珠の意思かなあ、と首を傾げる浜田に榛名はきゅっと眉を寄せた。 右、と呟いて高瀬もそのまま黙り込む。 白く頼りない腕に刻まれていた、赤黒い蔦のような奪声の呪の紋様。 秋丸が手を尽くしても根源まで浄化するには至らず、触れられることを恐れていた、右の。 「でもってさあ、刃紋がちょっと変になってる」 「変?」 「刃紋?」 「正しくは刃紋との境目のとこな。ほら、見えねえ?」 白い腕に絡み付いていた忌まわしい蔦が、切っ先に向かって伸びていた。 関節一つ分程度のそれに、嫌な予感しか生まれなかった。