女神は微睡む 真珠奪還編2.5




 

 子供が急に増えるのは、そう珍しいことでもない。
 と自分に言い聞かせて呂佳は自室のすぐ脇にひっそりと設えられた隠し部屋の扉を開けた。
 子供用の寝台で死んだように眠ったままぴくりとも瞼を動かすこともない子供。
 小さな頃神殿に半ば連れ去られる形で奪われた弟が使うはずだった王佐用の部屋。
 何かに呼ばれた気がして久しぶりに開けた扉の中。
 滅多に空気の入れ替えさえしない淀みの中に、小さな子供が、いた。
 隠し子を作った記憶がなければそもそも正妃だって迎えてはいない。
 もしかしたら自分の血を引く存在がいないとも限らないが、認知をしろと迫られたことはない。
 というか自分に似ていない。今まで夜をともにした女とも似ていないはずだ、と思う。
 「お前、一体誰なんだ?」
 側近に知らせることすら憚られる気がしたので全ての世話を見る羽目になった。
 幸いにも子供用の服は簡単にちょろまかしてくることができる。
 洗濯は部屋干しだが、精油を混ぜて洗ったそれから不快な臭いがすることはない。
 唯一頭を悩ませているのが食事。
 時折聞こえる悲鳴が原因なのか、夢に囚われているに違いない子供は一向に目を覚まさず。
 体力がじわじわと削り取られている状態で、このままでは最悪衰弱死を迎えかねない。
 それに気になるのが、痣のようなもの。
 暴力を振るわれたそれでないことは一見して分かる。
 鬱血痕ではない、まるで入れ墨でも施されたかのように禍々しい暗い赤の蔦が。
 右の指先から肘、肩、そして喉と心臓の上に迫る位置まで絡みついているような、痣。
 子供に刺青をするなど正気の沙汰とは思えないが、それ以外の何物であるかまで分からない。
 それも日に日に範囲が広がっているように思える。
 呪術の一種か何かなのか。
 入れ墨同様子供に呪術を施すなど、呂佳の理解の範疇を軽く超えている。
 常識、というものが通用しない神殿の所業なのかそれとも神殿以外の禍々しい何かなのか。
 理屈も理由も分からないが、痛々しいそれが気になって仕方がない。
 「早く起きろよ、ちび」
 柔らかな淡い色彩の髪の毛をそっと撫でて、隠し部屋を後にする。
 若くして隠居した先代が残した課題は困難なものではなかったが根気と継続的な努力を要するもの。
 それを引き継いだ自分は未だ若く、熱意が形にならず苛立ちが頂点に達しようかというところで。
 急に現れた、普通ではないだろう子供。
 正直、肩の力を抜くには好都合だった。
 子供の具合が気にかかるから、根を詰め過ぎて文書の海で夜を明かすなんてことがなくなった。
 なるべく休息を取るようにしたら、今まで見えていなかったことが見えるようにもなった。
 力を抜く、というのは楽をすることではなくて。
 視野を広く保つこと、なのだと実感した。
 (目が覚めたらもっと面白ぇんだろうな)
 弟、にしては年が離れすぎているだろうけれど父親になるつもりはない。
 が、目の前で多くを吸収するに違いない子供を見守るのも悪くない。
 「楽しませてもらおうじゃねえか」
 水でもぶっかけてみようかと少々物騒なことを考えながら呂佳は自分の在るべき場所へ。
 玉座へ、戻った。