3 ストレスをあたえてはいけません



 

 「は、ない、くん」
 「? どうした三橋」
 くいくいとセーターの裾を引っ張って呼びかけるのが似合う男子高校生ってなんだろうと思いつつ。
 呼ばれたら習性で無視できず、あまつさえそこに突っ込める相手でもないので、スルーしておくことにした。
 「あ、まいもの、きら、い、です、か?」
 「? 別に嫌いじゃねえけど?」
 それがどうかしたのか、と疑問に疑問で返す前に。
 「よ、かった」
 なんだかとても安心したように肩の力を抜いたので、ここで蒸し返してまた緊張させるのもあれだと思い。
 「嫌いじゃねえけど、これ。田島とか泉とかと食えよ」
 最近仕込んでおくのが当たり前となった菓子を左手に握らせてみた。
 今日は五百円玉サイズ(直径が)の飴玉。
 「! お、っきい、ね」
 「ま、少しは腹の足しになるかもしれねえな」
 「あ、りがと、う!」
 「どういたしまして。で、聞きたいことはあれだけで良かったのか?」
 「? う、ん!」
 「ならもうそろそろチャイムが鳴るから教室戻って次の授業の用意しろよ」
 「う、ん! じゃあ、また、あと、で」
 「おう。また後でな」
 走るなよ、と付け足せばいささか早足で教室に帰るふわふわした頭を見送って。
 さて、俺も次の授業の準備、と。
 教室に入ろうとしたところで今視界に入ったものを見なかったことにしたくなった。
 ……振り返らなくても突き刺さる視線視線視線。
 というかどす黒いあれを仮にもクラスメートというか同じチームのメンバーに投げつけるのはどうなんだろうか。
 胃が痛い。
 「あっれ、花井、中入んないの?」
 「……水谷、お前、あれどう思う?」
 呑気な声にげっそりしながら対象を明確にはしないまま、尋ねてみる。
 「? 阿部がどうかしたの?」
 「いや、うん、なんでもない」
 どうやら、あのオーラの対象は自分一人のようであり。
 三橋とのやりとりの一部始終を見かけていたんだなあと。
 ……つーか声かけりゃいいだろお前も! と。
 叫びたくなる気持ちを抑えて代わりにため息を吐き出すのが花井の常だったりする。




 「はーないー!」
 「? どうしたよ」
 そんな廊下の端から叫ばなくても近くに来て声だけかけてくれりゃ良いのに、と。
 心の中で思ったところで田島相手では意味がない。
 早々に諦めたところで、駆け寄ってきたのが一人だけじゃないことに気付いた。
 「おい、危ないから廊下は走るな? 別に逃げやしねえから」
 あと少しのところで躓きかけたのを受け止めて、諭せば神妙な顔つきになる。
 「わーるかったって! な、三橋」
 「ご、めんな、さい」
 「こんなんで怪我したらつまらないだろ。気をつけろよ?」
 「おう!」
 「は、い」
 「で、どうしたんだ?」
 ぽん、と軽く頭を撫でれば青白かった顔が一気に赤みを帯びる。
 田島の表情もきらきらと輝く。
 ……これは、もしかするとあまり嬉しくない方向に話の流れが行くのでは。
 「花井にプレゼント!」
 「俺に?」
 「そーだよ。ったく、田島、お前俺に荷物預けるのは良いけど本題まで預けちゃ意味ないだろ」
 「泉、なんだ本題って」
 「お前にプレゼントだろ」
 「?」
 いつもだったら至極冷静に状況説明してくれるはずの泉が、今日はにやりと笑うのみ。
 「俺らからのありがとうの気持ち!」
 「い、つも、ありがとう、花井、くん」
 二人の手から渡されたのはなんだか物凄く凝ったラッピングが施された包み。
 かさり、と乾いた音と匂いから察するに。
 「クッキー?」
 「そ。俺ら調理実習だったんだよ。バレンタインにはちょっと早いけど日頃の感謝の気持ちを込めてってやつ」
 「味見したから食えるぜ。なー、三橋。美味かったよなー」
 「う、ん。うまかった、よ」
 万年欠食児童たちが調理実習での作品を味見だけで済ませるなんて。
 「こっちこそありがとうな」
 てか、感謝って、何? バレンタインって。
 「泉」
 「? なんだよ」
 もう役目は果たしたと仲良く手を繋いで九組へと帰っていった二人の背中を視線で追いつつ。
 多少声を低く小さくして、花井は確認することにした。
 ちょっとばっかし命がかかりそうな、結構重要なことを。
 「これだけじゃ、ないよな?」
 「うんにゃ。これだけ」
 「……嘘だろ」
 もう既に阿部の視線が固定されているというのに。
 田島も製作者の一人とはいえ、三橋から渡された『感謝の気持ち』が花井だけだなんて。
 「あいつらつーか俺含めほとんど食った後で女子にそのキットもらったわけ」
 「で?」
 「で、あいつらの感謝の矛先はいつも世話かけてる主将に向かったと。良かったな、花井」
 ぽん、と軽く肩を叩いてお大事にな、と。
 胡散臭いことこの上ない笑顔を浮かべて歩き出した泉は、振り返ることをしなかった。
 賢明だ。というか急ぎ足なのはずるいんじゃなかろうか。
 感謝の気持ちなら監督に渡してくれれば良かったんじゃなかろうか。
 etcetc。
 たくさん思うことはあれど、言葉にならない。
 「どういうことか説明してもらおうか、花井」
 「……ああ、うん」
 



 感謝の気持ちを込めたそれが花井の胃痛の原因になるだろうことは予測済みだったが。
 『ありがとう、ったら誰だ?』
 『は、ない、くん、に』
 『おー、主将だもんな!』
 『う、ん!』
 主将と書いてお母さんと読む花井にプレゼントを渡すのだと。
 ラッピングキットと悪戦苦闘を繰り広げている二人を前に全く止める気にならなかった泉なのだった。