8 とってもこわがりです




 

 さてどうしたものか。

 「ご、ごめんなさい」
 「いや良いって別に。お前のせいじゃないし」
 「で、でも」
 「苦手だけど好かれるタイプなんだろ、要するに」
 「む、昔、から、よく、追っかけられ、る」
 「ああ。逃げると追いかけっこして遊んでくれると思って余計追って来るんだよ」
 「そ、そうなの?」
 「そうなんだよ。だから今度遭遇したら走って逃げずに普通どおりを心がけるんだ」
 「ふ、普通……」
 「ま、三橋には難しそうだな」
 「うう……すみません」
 「だから謝らなくて良いんだって。しっかしこれじゃ身動き取れないもんな。どうしたもんか」

 事件の発端はこうだ。
 今日はアイちゃんがシガポの膝の上でいつものようにお昼寝をしていた。
 放送で呼び出されたシガポはアイちゃんを膝の上から下ろしてベンチの上に寝かせておいた。
 外周を終えた俺たちに向かってアイちゃんが駆け寄ってきた。
 運悪く三橋がターゲットだった。
 三橋は犬が苦手。
 更に運の悪いことに俺と三橋以外は水道に向かっていってしまっていた。
 三橋は必死の思いで俺にすがり付いてアイちゃんから逃げている。
 背中に三橋、足元にアイちゃん。
 俺は身動きが取れなくなってしまっていた。

 「誰か一人でも帰ってくればそっちに興味が移るとは思うんだけどな」
 「よ、呼びに」
 「行くのに走ったらアイちゃんに追いかけられるぞ。それじゃ意味無いだろ」

 じわり、と肩口が濡れる感じがした。次にふわりとしたものが首筋に触れる。

 「ごめんな、さい」
 「だから謝るなって」
 「でも、俺」
 「誰にも苦手の一つや二つはあるだろ」

 田島が悪ふざけでよじ登ってきたときは簡単に振り落とすこともできるのだが、相手が三橋じゃそうもいかない。
 ずり落ちそうになるのを背負いなおして今度は足元のアイちゃんに視線をやってみる。
 ……きらきらした目は依然として逸らされること無く俺と俺の背中の三橋を見つめている。

 「は、花井君も?」

 小さな、本当に小さな声が耳に届く。
 頭を撫でてやりたい衝動に駆られるけれども、手を伸ばすにはこの体勢はきつい。

 「泣かれるのは苦手だな」
 「う」
 「別に泣くなって言ってるんじゃないけどな、一人で泣かれるのは苦手だよ」
 「ひと、り?」
 「あと声殺して泣かれるのも嫌だし、泣いてる本人が泣いてるって自覚が無い泣き方も結構辛いもんがあるんだよな」
 「俺、は」

 肩口にまたじわりと濡れた感触が広がる。
 水分多めに取らせないとダメだな。足りなくなる。

 「我慢はしなくて良いからその分ちゃんと泣けよ? 俺の胸で良かったら貸してやるから」
 「は、い」
 「良し」

 もう一度背負いなおすとばたばたと騒がしい足音が聞こえてきた。アイちゃんの興味もそちらに向く。

 「なーにやってんだ?」

 駆け込んできた田島に飛びつくアイちゃんと、難なく抱きとめて抱き上げたままこちらに寄ってくる田島。
 ひぃっ、と小さく声を上げると一層俺にしがみつく力を強くする。
 俺にも慣れてきたよな、などと感動している時間は無い。

 「三橋、アイちゃんは田島が抱いてるからもう大丈夫だぞ」

 早く下ろさないと阿部の目から出される光線で俺が焼き尽くされてしまう。

 「なんだ三橋まだアイちゃん駄目なのか?」
 「う うん」
 「そっか。じゃ花井」
 「何だ?」
 「アイちゃんやる」

 ほれ、と押し付けられたアイちゃんを抱き上げると、田島は後ろに回って俺から三橋を引き剥がす。

 「た、田島く」
 「落とさないって」

 三橋を正面から抱きつかせてご満悦な田島は意気揚々と俺を見上げ、にぃっと笑った。

 「花井ばっかりずりぃよ」
 「は?」
 「なー、阿部」

 田島が振り返った先で阿部は三橋が抱きついている俺ではなくアイちゃんを抱き上げている俺にビームを飛ばしてくる。
 な、なぜだ?

 「お前らもしかして」
 「泣かれるのは苦手だそうだな」

 にやりという悪人のようなその笑顔だけで人を殺せるのではないかと思える阿部。

 「胸貸すんだって?」

 どこから出てきたのか仏のような笑顔なのにそこはかとない恐怖心を与える栄口。

 「三橋が泣いたら俺が慰めてやるからな! ゲンミツにな!!」
 
 使い方が間違っているゲンミツに突っ込む気力さえ、今はない。

 「「首脳会議しようか、花井」」




 以後アイちゃんに怯える三橋を見るたびにあの日の恐怖を思い出して一人泣きたくなる花井がいたとかいないとか。