桜闇 第一夜  木は火を生み −芳花狂人(カグワシヒハナニクルフヒト)−


 乾いた空気はそうでなくとも荒ぶり易い火気を狂わせる、と火守当主美作譲理は寒空の下、穢れない炎を生み出しつつ独り思っていた。
 狂った火気を抑える役にあるのは本来ならば水気であるはずなのだが、この時期ともなると水守も手が空かない、ということで火気の長が直々にその任に当たることとなった。
 のは良いのだが。
 「何でお前がここにいるんだ?」
 狂った火気を抑えるのが今宵の自分の仕事であるはずなのに、何故火気を生む木気を統べる者がこの場所に存在するのか。
 死に装束と見紛うばかりの白い和装に身を包んだ佳人―――寒河江夜澄は譲理の問いには答えずに、その白い指で虚空の一点を指し示した。
 サングラスのレンズ越しに視線を動かすと、ふわり、と燃え上がる火気は蒼く。
 その熱量は紅いそれより遥かに多く。
 「青焔、なのでしょう」
 その言葉は凡そ感情と言えるものを宿さず。
 その響きには試すような感情が孕まれているはずはないのに。
 受け取り手次第で如何様にも取れてしまうその言葉に譲理は双眸を細めた。
 自分を見てはいないその目を、釘付けにさせたくなる。
 あちらにはレンズ一枚通した自分の視線など受け止めることが出来ない、などとは思わずに。
 「今お前の目の前にいるのは青焔なんてもんじゃねぇよ。美作譲理ってただの人間だ。覚えておけ、夜澄」
 その名を呼べば微かに、けれど花がほころぶような笑みを返す。ほんの、微かに。
 (名越の野郎、これが目的かよ)
 『護り』を統べる土守当主には人の感情などいとも容易く読めるらしい。
 どうすれば効率良く自尊心が高い火守を動かせるかなど朝飯前なのだろう。
 「青焔になぞ、当分なってやらねぇから」
 「私も桜樹になどなるつもりはありませんから。……来ます」
 視線は蒼く揺れる炎に向けたまま、夜澄が一歩後ろに下がった。炎の燃える勢いが僅かに減少すると共に譲理の掌の中に生まれていた炎も震える。
 「上等だ」
 青く澄んだ光を放つ炎が譲理から勢い良く離れ、鈍く揺らめく炎を焼き尽くす。
 きぃん、と澄んだ音が響き、炎が姿を消した。
 「報告には俺が行く。いいな?」
 「お願いいたします。それでは」
 ひらりと袖を翻し、暗闇の中で明るく浮かび上がるはずの白い着物を闇に溶け込ませて夜澄はその場を去った。
 (護衛もなしに出歩くとは……何を考えていやがる?)
 夜澄の血縁であり、どこに行くのにでも必ず付き添っているはずの若者の気配が今日は全く感じられなかった。
 「まぁ、良いか」
 金木犀の香に噎せ返りそうになりながら、譲理は夜澄が向かった方向とは逆の方へ歩き出した。
 「この匂いに炎も狂うってか?」
 街のいたるところに植えられている小さな花をつける木……金木犀。芳香は人の心を酔わせるばかりでなく、火気まで昂らせる。
 「俺も……狂ったかな」
 呟きさえ、甘い夜の空気に溶けていった。





あとがきという名の言い訳
はい、漸く始まりました『桜闇』。今現在、全話を書き終えてはいないのですが、これからは週に一度次の話がアップされていく予定です。
最初に予告したとおり全部で十話の予定。年内には完結する予定です。

それにしてもこの話、書くときになくてはならないものが一つあるんですよ。
それは『五行図』。相生相剋の図がないとこんがらがってしまうんですね、話の筋が。なので皆様も読むときは片手にこの話の設定をプリントアウトしたもの一部と五行図が有ると大変分かりやすくなって良いのではないかと思われます。是非やってみて下さい。

それでは次回予告。
「火は土を生み」でお会いいたしましょう。でわ〜

20021025 
再アップ20080207