桜闇 第五夜 水は木を生む −在所皆失(アルベキトコロヲミナウシナヒ)−


 全て、貴方の為だった。


 「木気の狂いは、もう抑えられない」
 感情を抑えた、けれども確かに怒りを孕んだ静かな声が美咲都を此岸に引き戻した。
 夜澄が赤い葉を付ける銀杏を鎮めに行くのだと人伝に聞いて、どうしても想い人の力になりたくてここに来たのに。
 水守である自分がこの場所で水気を木気に送った為に気の流れを狂わせてしまったのだと。
 気付いたのは、大樹が真っ二つに裂け木守共々地に伏してからだった。
 「名越に伝えろ。『任は果たした。木守と金守は約定を果たす』と」
 穢れなき純白の衣に身を包んだ木守を愛しげに抱き上げ、姿を消したのは金守……木守の力を半減させる者だった。
 「夜澄さん、どうして……」


 「約定を果たすのは暫し待って欲しい、それから木守と金守はなるべく一つ所に留まるよう留意してくれ、とのことだ。……夜澄は目を覚ましたか?」
 「いや……瞼を震わせることすらしない。すまないな、手間をかけさせた」
 「構わんさ。しかし木気を欠いていると言うのに火気が荒ぶっている。……水気が弱過ぎる」
 先日、水守は水気の枷を外した為に身体を損ね、水気を大量に注がれ過ぎた木守は金守の抑えも空しく倒れた。
 自らが慕う者を傷付けた水守は心まで病み静養中。正気を保っているのが火守と土守。危うげながら金守。……情けないではすまされない状態に陥っている。
 本来五つでその均衡を保っているものが支えを二つ失っている今、あと一つでも崩れれば確実に惨事を招く。
 「美咲都は……もう駄目かもしれない」
 幼い心に強過ぎる力。未熟な心が強大な力を振るえばその先にあるのは忌まわしき事態。
 「名越次第だろう……結局全てを俺はあいつに背負わせてしまう」
 「それはあいつも了承してるだろうよ。あいつが『土守』であることを選んだときに全部それを背負う覚悟はしてるだろ。……夜澄を頼む。俺は……」
 強過ぎる力で握りしめ、硬直してしまった拳を一本一本、縛られた何かから解くように指を開いて譲理は夏也を見た。
 サングラスで覆い隠された双眸からでも読み取れるのは強い願い、想い。
 「俺は、あいつを救ってやりたいんだ」
 「美坂」
 「俺がこういうことをお前に言うのもおかしいかもしれないけどな。俺は確かに夜澄を愛してる。下らない尊称なんて付けられて、それに足掻いてる俺だから夜澄のことが理解出来るんだろうって思ってる。けどな……」
 一息ついて、譲理は笑った。
 「肉親の情なんて信じてないけど、それに近いんだよ。誰よりも幸せになって欲しい、そう願う気持ちは嘘じゃない。けれど俺がそれを出来るかって言ったらそれは違う気がする。俺には夜澄以外にそういう相手がいるんじゃないかって思う。だから俺はあいつを救いたい。きっと俺しかいないあいつに俺のことを気付かせてやりたい。心からの笑顔とか、浮かべさせてやりたい。……これは火守としてじゃなく美坂譲理としての願いなんだけどな」
 「美坂、願いを叶える方法を一つだけ教えてやる」
 無表情に譲理の話を聴いていた夏也が微かに笑ってゆるりと瞬いた。
 「したい、ではなくする、と宣言してしまうんだ。直接相手にな」
 「……っ十折、お前って意外と」
 「気安い相手だろう? それは兎も角として神凪を頼む。俺が傷付けた」
 くつくつと喉で笑い、それを瞬時に引っ込めて夏也が頭を下げた。
 「分かってる……またな」
 「ああ、また」


 全て、何もかもが貴方の為だった。
 貴方の傍らに在る為に、貴方を支える為に……貴方に求められたかったから。
 「俺じゃ、貴方を救えないの……?」
 闇に向かって呟いても返る声は一つも無かった。





あとがきという名の言い訳
……もう、何も言えません。結局大まかな流れは変わらないものの講義中に書いた原稿は大きく改稿されてます。本当にこの二日間苦しい作業が続きました。……いやぁ、ハッピーエンドにしてみようかな、とか思った時点でもう改稿は決まったようなもんだったんですけどね。……量がね……(泣)。

まぁ、いっか。予定通りに終わると思われます。多分。幕間とか外伝とか書く予定が今のところないので。……予定が立ってしまうと先にそっちを書きたくなるので大幅に狂う可能性が物凄く高くなるんですけど、今回はなさそうです。いやぁ安心。

それでは久しぶりに譲理も出てきたことですし、次回からは相剋編ですし、新たな気持ちで頑張りたいですね。ってことで予告。
「木は土に剋ち」です。またしても譲理大活躍!

20021117
再アップ20080207