桜闇 第九夜 火は金に剋ち −預花祈一(ハナヲアズケテイノルハヒトツ)−


 愛しい者達が幸せになってくれるのならば自分の明日など構いはしない。


 「土守! どこへ行かれるのですか!」
 家人の悲鳴を振り払って義晴は車を急発進させた。
 (次代を用意しろだなどと。何を死に急ぐ必要がある)
 成せることは何もなくとも、ただ己がその場に在るだけで役に立つことが出来るのかもしれない。
 土守、と言うただそれだけのことで、自分がそれであることに何の意義もなくとも役に立つのならば。
 誰かの助けになることが出来るのならばそれで構わない。
 ……逸る心と共に車を加速させ、間に合うことを当然のように信じきって。
 それでも一秒でも早く着け、と義晴はタイヤの悲鳴を耳にただ車を走らせた。


 「悪いな、油断した」
 その一言だけ。
 苦笑と共に呟くと譲理は両目を閉じた。
 足元から立ち上る青い炎……青焔の名に相応しい凄絶な青がその身を呑み込もうと踊り狂う。
 「何で……! 何で俺がこんなに力出してるのに! どうして消えないんだよ! おかしいだろ!」
 夜澄に向けて放ったはずの力。なのにどうして青い炎に譲理が包まれなければならない?
 無我夢中になって己の内の力を引き出そうとする美咲都に淡く微笑みながら譲理は何かを振り切るように頭を振った。
 そして。
 唯一人だけを見つめた。
 「お前は桜樹になるなよ? 俺はもうなっちまいそうだけどな」
 「貴方は譲理さんです。美坂譲理さんですよ」
 真っすぐに自分を映す目には下らない妄執に縛られるもの同士しか分かり得ぬ、けれど決してそれに屈指はしない強い光。
 そして自分を『美坂譲理』以外の何者にも見てはやらないという思いが、あった。
 「……お前の目に映されたら他には何にも要らないと思ってたけど、駄目だな。一番叶えて欲しかったことは叶いそうもない。……十折、頼んでもいいか?」
 「……そう簡単に未来を諦めるな。まだ、お前はお前だろう?」
 口ではそう言いながらも譲理の意を汲み取って夜澄を引き離してやる。
 「馬鹿美坂! 何でお前諦めてるんだよ。お前っ」
 譲理に絡みつく炎を振り払って抱きついた美咲都を抱きしめ返して、その耳元に優しく零す。
 「名前、呼んでくれないか?」
 「……譲理?」
 「美咲都、愛してる」
 「え?」
 祈りを込めて突き飛ばす。
 美咲都がよろけた瞬間に青い炎が一層激しく燃え上がった。
 「嫌だ! 譲理!」
 青い炎に包まれ、灰さえも残らずに先代の火守は唯その場から消滅した、と聞いた。
 「神凪」
 静かに名を呼ばれ、その声の主を認めて美咲都は涙を零した。
 「名越さん」


  「次代の火守は来月までに決めるよう火守の屋敷に連絡しろ。ああ、その他の護りの当主の屋敷にもだ。……私は逃れられぬがな」
 一着で安売りのスーツが一体何着買えるのか分からないほど仕立ての良いものだったそれが、今では見る影もない。
 皺はクリーニングに出せば戻るだろうが、焦げ付いた布地は最早修復不可能の域に達している。
 クリップ型の携帯を閉じて大きく一つ伸びをした義晴に、夏也は苦笑しながら言葉をかけた。
 「……良いのか?」
 尋ねた夏也に向かって義晴は煤で汚れた顔を笑み崩した。
 ……今までの関係ならば見ることは叶わなかった笑顔だった。
 「これ以上お前達に何を背負わせる必要がある? 確かにお前達ほどの護りを失うのは痛手かもしれないが私は笑顔を奪うものにはなりたくないんだ。……私の勝手だ。気に病むことはない」
 「感謝する」
 深く頭を下げた夏也に朗らかな笑い声で返し、崩れた髪形を手櫛でセットしてから内ポケットから鈍い光を放つジッポを取り出した。
 シャツのポケットで何とか炎から逃れた煙草に火を点け、紫煙を深く吸い込んで、火のついたその先を夏也に向ける。
 満足した、その顔とともに。
 「その必要は無い。私の勝手だと言ったろう? それよりも早く行ってやってくれ。寒河江の隣に」
 「承知した」


   「おま……ほんと……馬鹿だ……」
 嗚咽交じりで自分にすがり付いている美咲都の背を撫でてやりながら、譲理はのんびりと空を見上げていた。
 ……あの時、自分を包み込もうとした青い炎が突如現れた義晴に逸らされた。
 お蔭で軽い火傷を負った程度で済んだ。……まぁ、火守が火傷とは笑い話にもなりはしないが。
 「ああ、それは知ってた。……やっぱりここに来る前に名越に電話しておいて良かったな」
 本当にあの場に義晴がいて助かった。いなければ十中八九死んでいたに違いない。
 それこそ『青焔』になって。
 「でも……お前以上に俺のが馬鹿だ……」
 「美咲都?」
 「俺、俺のことしか考えてなくて、夜澄さんにぶつけたのが夜澄さんで止まると思い込んでて、お前にぶつかるなんて思いもしなくて」
 己の愚かさ故に、大切な人を失うところだった。……二度と、触れ合うことが出来ない恐ろしさを初めて分かることが出来た。
 「まぁ、俺も自分のこと評価し過ぎてたからな。お前と大して変わりはしないだろ」
 「……俺達馬鹿じゃん」
 「馬鹿でも俺は愛してるよ」





あとがきという名の言い訳
嗚呼……挫折しかけたんですよ、この話。
本当は昨日上がってるはずだったんですけど、どうしようもなくなってしまったので。リライト。……義晴さんが格好良い気がするのは私だけでしょうか?

さて、本編が残り一話ですね。夜澄と夏也の関係についてですね。
……そして終幕ですか。ずっと出てこなかったあの人とあの人が出てきます。お楽しみに。

それでは、次回「金は木に剋つ」でお会いいたしましょう。
20021215 
再アップ20080207