風薫る若葉の君、紅葉の姫神に遇されるのこと 竜田姫が錦の衣を纏ったという話が都に流れ出す頃には既に秋は深く竜田姫の美貌にも磨きがかかっている。 都から西の方角、紅葉が美しいその山の名が竜田山。秋の女神は竜田姫。 要するに、竜田山は今が紅葉狩りの最盛期、ということだ。 一口に赤や黄色といっても木の種類ごとに、またはその木が生えている場所、高さ、葉の大きさごとにその色は全て異なっている。 目も眩むような鮮やかな色彩を愛でようと若葉の君ご一行は女神のお膝元に出かけていた。 「それにしても毎年毎年すげぇなあ、ここの紅葉は」 「女神がいるからな。他のどの山より綺麗だろ」 馬は麓の知り合いに預けてきた。険しくなく人が立ち入るのを拒んではいないこの山は徒歩で楽しむのに適している。 浜田の背には食料と敷布と水分。宴のための道具がこれでもかと背負われているがさして足元がふらつくこともない。 「姫神、さま？」 「！ 若君！」 一歩先を歩いていた浜田の耳にぼんやりとした若君の声と焦った泉の声が聞こえて。 慌てて振り返ったときには、既にすぐ後ろにいたはずの二人の姿は跡形もなく。 しかし阿部が若君に施した術に反応がなかったということは、二人の身柄は敵意を持っている何者かに連れ去られたのではないと言うことで。 んー、と伸びを一つ。 浜田は再び前を向いて歩き出した。 頂上付近で紅葉を愛でつつ食事をすることになっているのだから、その準備のために一人で先回りをしたと思えばどうということもない。 若君は妖の類も寄せ付けるがそれに限らず人ではないものに殊更に好かれる。 姫神、は多分見たこともお会いしたこともないがこの山の主だろう。 恐らく大層な佳人に違いない。この山が麗しいのは主である竜田姫自身の麗しさ以外のなにものでもない。 できればお会いしたいものだなあと思いつつ、まあ、若君と泉があとで教えてくれるだろう。 紅葉を愛でつつ話を肴に傾ける酒はまさしく美酒。 「腹を空かせる前に帰して下さいねー」 是、と答えるかのようにひらひらと紅葉がてのひらの中に落ちてきた。 「大丈夫ですか、若君」 「う ん……あ、ここ は？」 「さあ。浜田とはぐれたんだろうことは分かりますけどどこだかまでは」 先ほどまでも美しく赤や黄に染まった葉で彩られた山道を歩いていたはずなのだが、まるで空気が違っている。 清涼な空気はもちろん秋特有のものだが、うっすらと寒気まで感じるこれは常世のものではない。 腕の中で瞬きを繰り返している若君の衣越しに感じる体温が唯一泉を動転させない楔となっていた。 「お怪我は？」 「ない です」 「それは僥倖」 柔らかな髪に纏わり付いた赤と黄を払って視線を頭上へ向ける。 ひらひらと注ぐ紅葉と穏やかに射す日の光。 害意は感じられないが、人が在るべき場所ではない空気にどうも居心地の悪さを感じるのは、己の身が常人であるからゆえか。 夢と現を彷徨っていたかのように泳いでいた若君の視線がようやく定まった、その先。 さらりと衣擦れの音と鮮やかな緋色の裾が視界に入った。 「姫神さま お久しぶり です」 若君の柔らかな声にその正体を悟るも、眺めるのすら不躾だろうと佩いていた刀を脇に置き膝を折る。 膝を屈する人は只一人のみだが、人ではないのならば躊躇う理由もない。 「お初にお目にかかります、秋の御方」 その名を知ってはいるものの、いざ目の前にして呼ぶのは憚られる。 春の女神と対を成す秋の女神。 「今年も すごく 綺麗です」 さやさやと流れる風が返事なのか、返される言葉はないまま若君は言葉を紡ぐ。 こんなにも素直に賞賛の言葉を贈られて、姫神様もさぞ心地良いに違いない。 若君の言葉は心をそのまま伝える拙いもの。それを知っている相手は余計に気恥ずかしい気持ちになる。 「また 来年も……ええと」 「若君が望むならご一緒させていただきます」 「……大切な 人たち と 一緒に ご挨拶 しに来ます」 言葉に詰まった若君の語を繋ぐように付け足せば、こつりと、雨のような音と共に小さな衝撃が降って来た。 茶色いそれを認めると同時に失礼、と若君を抱き寄せ日除け代わりの布でその身を覆ったか否か。 後から後から降り注ぐ、秋の恵み。 「おーやまあ、随分とたくさん土産を持たせてもらったみたいだな？」 持って帰って炒ったら食べれるのばっかり寄越してくれるなんて若君の食欲まで良く存じてる女神様だこと、と。 笑みを浮かべた浜田と既に準備が整っている宴席に出迎えられて思ったよりも早く流れていたらしい異界から戻ってきたのだと分かった。 「で、どうだった？ 姫神様はお美しくあらせられたか？」 「？ 姫神さま は いつも お可愛らしい よ？」 首を傾げた若君の頭上に葡萄が降り注ごうとしたのを食い止めた泉は、顔を見ておけば良かった、と後悔したと後に浜田に告げたと言う。