100個で1組のお題 映画100 066:マイ・ボディガード 天秤が自分に傾くその理由は、分からなかった。 けれど自分の天秤は既に、否最初からその人だけしか乗せていなかった。 傾くも何も他の何を持ってきてもつりあいなんか取れるはずがない、唯一の人。 「……どこにいるんだ」 使えるものを全て使ったところで簡単に見つけ出せるような、そんな相手じゃない。 俺が元所属していた場所の、殺し屋。 その人が欲しいと思ったのが、俺が守るべき人。 ……否、俺が生涯をかけて守ると己に誓った人。 本気で探してもう三ヶ月になるのに未だに欠片一つ拾い上げることも見かけたと錯覚することもない。 まだ友好な関係を保っている元職場の人間に連絡をしたら、そちらでも探している、と。 強大なあの組織の中に在ってさえ、島崎慎吾と言う男の痕跡を見つけるのは難しいらしい。 それでも。 「ピアノの感想、伝えてないんだからな」 自分だけのために三橋廉というピアニストが奏でたその曲に込められた思いを。 確かに受け取ったと、思いを返したいのだと伝える前に。 自分で幕を引いて、勝手に終わらせて。 人に嫌われるのを恐れているのになんて自分勝手に人の心を決め付けて。 ……だからこそ、伝えなければ。 それだけを胸に諦められないまま、諦めるつもりなんて欠片もないまま日夜足と頭を動かして。 探しているのに、見つからないのは。 それだけ本気で島崎があの人を欲しがっていて。 あの人がそれを受け容れているということ。 外見とは裏腹に酷く頑なな心の持ち主のあいつが何を譲らないのか、については。 自惚れている。理由は分からなくても100人より自分が選ばれたのだから。 攫われたのが合意の上なら動いても見つかるはずがない。 頭で分かってはいても。 「……ピアノ?」 ほんの僅か、どこかから。 艶やかな独特の音色が耳に届く。 そう近くではない、けれど音が届くほどの距離。 耳で捉えられる、音の発生源まで、無駄足かもしれないと。 その確率の方が高いのだと逸る心に言い聞かせながらも踏み出す足の幅が徐々に広くなっていく。 それに比例して微かな音が少しずつ連なって曲に、音楽になっていく。 音楽家の耳を持っていない。 けれどずっと傍らで聞いてきた、聴いてきたその音を間違えることはない。 僅かな隙間から零れ落ちてくる音。 オートロック式ではないごくありふれたマンションの一室の窓の隙間から齎された、福音。 ワンフロア上がるたびに確実に近付く音の発生源に罠が張り巡らされていたとしても。 逢えるなら。 「三橋」 ノブを捻れば全く抵抗せずに扉が開いて、それだって罠だという可能性を捨てず慎重に侵入しなければならないのに。 通路の先、艶やかな黒の曲線まで土足のまま左右も上下も前後も確認しないで上がり込んで。 「三橋」 通路の終わり、開け放たれていた部屋。 グランドピアノの鍵盤に指を滑らせているその存在に触れられるのなら、触れられたのなら。 もう爆弾で吹き飛ばされて木っ端微塵になっても良い。 蜂の巣になっても構わない。 これが俺の出した答えだったはずなのに。 「俺 の ゆ び 動いて る?」 「動いてる」 「音 ずれちゃってる んだ よ」 「んなの俺の耳で分かるはずがない」 「……俺の 音 は?」 「俺に分かるのはお前の音かそうじゃないかだけだ」 ペダルから足を外したタイミングでしか声がかけられなかった。 吸い付いていた指が鍵盤から離れたタイミングでしか。 触れることだって、できやしない。 守るためなら幾らだって抱き込めた細い体に、指一本伸ばせやしない。 「俺 つまらない って」 ゆっくり立ち上がった体は三ヶ月前よりも薄く細くなっている。 慈しむような手つきでカバーを閉じて俺に向き直って。 踏み出した足がピアノのそれにひっかかるのはこいつならそう珍しいことじゃない。 反射的に動く体にすっぽり収まる、華奢な体。 「俺の 心 が 置きっぱなし だから って」 ほっそりした手が遠慮がちに俺に触れて、手首をやんわりと捉えた。 てのひらを重ねたそれを、胸の上に押し当てて。 「返して もらえます か?」 どくどくと早く脈打つ心臓の鼓動を冷たい指先の下に隠さないで、でも俯いたままで。 「手、離してくれ」 一瞬びくりと震えてゆるゆると力を無くして垂れ下がろうとした、手を。 自らの意思で、捉えて。 重ねて。 「ボディガードでだけじゃ、いられなくなる。それでも良いなら」 俺のこの手を二度と離さないと。 他の誰かの手を取らないと、言うのなら。 大きな目が俺を映して瞬いて大きな涙の粒が頬を伝う。 開きかけた唇が答えを紡ぐ前に、塞いで言葉ではなく行動で答えが返されるのをただ待った。