In the eye of the wind


 気が付いたら『スタジオミュージシャン』って、仕事を選り好みしなければそこそこには食える職業に専念するようになってから三年以上が過ぎていた。
 そこそこに食えるって言っても、一般人と比べてかなりエンゲル係数の低い俺を基準として考えているから、栄養士とかが見たらかなり眉を顰めるようなものだけど。
 その代わりに中古のカマロなんて思い切った買い物をした時点で、食がおざなりになるのは分かりきっていたことだから、まぁ、少しは稼いでいるのかもしれない。


 あれっきり奴とは顔を合わせることも無く、尚尋とも会う暇が無くて、ちっとも会ってなかった。たまにベテランの出したCDのクレジットに名前が載っているのを見るぐらいで。
 俺はと言えば、尊敬しているアーティストのレコーディングに借り出されて色々勉強したりテクを盗んだりだとか、名前と顔と身体だけで、声や歌は話になんてなりゃしないアイドルの一時期だけ話題になろうって魂胆見え見えの下らないデヴュー曲やら、何聞いても、誰の声聞いても頭の中で一緒になって、名前を聞いたところで判別不可能な聞き分ける必要も無い奴らをプロデュースして、楽に食い繋いでいる奴の何枚目なんだか数える気も失せた金稼ぎの為だけのシングルだとかを、吐きそうになるのを自分自身の限界以上に我慢して、たまにそれが効かなくなって自家中毒に近いものを引き起こしかけながら弾いていた。


   シールドからコードを伝わってアンプに辿り着いた音は全部死んでいて。
 拡大される前に弾いた本人が気付いている。
 右手を振り下ろした瞬間に気付いている。
 左手に伝わる振動さえも全部が偽物で。
 どれくらい嘘かって、起震車が起こす地震ぐらい。合成着色料で染めたチェリーぐらい。
 リアルじゃなくて、見るからに偽物イミテーションって、素人目にも分かるそんな代物。
 音波が空気の波に攫われる瞬間に、もうそれは既に生きる意味を失っている。
 俺が。
 何処からどう聴いても俺自身が弾いているのにそこから生まれるのは抜け殻。生まれる前から死ぬって運命付けられている音たち。
 俺が殺しているから、もう死骸になって腐り落ちているのに奴等は気付きもしない。俺が常に浮かべている偽りの笑みに騙されて。
 その音が本物か偽者かどうかの区別も出来ない奴等のために、俺が生命を懸けているものを捧げているフリをしているのにも気付かない奴等に。
 (どうして俺がお前らの為にって、心からの音を生み出すことが出来る?)


 弾いている本人が一番よく分かっている。
 もうそろそろ本気で死ぬかな、と思った。自分で耳飛ばして、ギタリストの肩書きの前に『元』を付けようかと思っていた。
 (なんでギター弾いてるんだ、俺?)
 そんな簡単なことにまで答えられなくなっている俺自身がもう嫌だった。
 ギタリスト銭村真海なんて、どうでもよくなりかけていた。


 「ねぇ、君の音はあんなのになっちゃったの? あんなつまらない音は君の音じゃないでしょ? あんなので、君、本当に生きていられるの? それよりもねぇ、本当に生きてるの?」


 他人のことなんてどうだっていいって答える奴等の方が絶対多数の社会の中で。
 お前のものになどならないと宣言した奴のことを気にして、おまけに泣きそうな顔で、真面目に顔面蒼白状態の奴が他人のレコーディングスタジオを訪れるなんてことがそうそうあるわけもなくて。
 (てめぇの方が死にそうな顔してる)
 でも、奴はそんなの全部無視して俺の目の前にいた。
 世間体だとか、常識だとか、奴には必要無かった。
 「じゃあどうしろっての? どうしたら俺の音が生き返るっての?」
 答えはもう分かっていた。それ以外に存在しないから。
 難しい問題を理解するって意味の『分かる』じゃなくて。
 目の前の現実をそのまま認めて、それの正体が何だかはっきりと分かるって感じだから。


 こいつと会った時に、こいつの音を聴いたときに、もう、心の一番奥のところで分かっていた。


 生きる方法。
 生きるって言葉の持つ意味が衣食住とかの最低限の保障って言うんだったら、それは幾つでも見つけられるのかもしれない。簡単に、自分でも気付かないうちに見つけているのかもしれない。
 それなりに苦労をすれば金は手に入るものだから。
 けれど、自分自身が本当に望んでいるものを得るって言う意味を持っているんだとしたらそれは、何処をどう探したって、今の俺には一つしかないはずだった。
 ましてや、音楽、だから。
 俺が求めているのは。


 「俺のために弾いてよ。あんな人達のために弾いてる君の音なんか僕は欲しくないし、あんなのを君の音だなんて俺は絶対に認めないから。だから君が俺に……君だけのためでもいいから、白井君が愛した……。ああもうっ。違うよ、ちゃんとした言葉になんかなりゃしないんだよ。けど、言葉で伝えないといけないから! だって俺が……この超天才アーティスト三輪明日真が誰より先に、最初に見つけたんだよ。君が一番大切にしてるものを半永久的に生かし続ける場所を。君しか弾けない、君だけのギターの音を誰よりも必要としてる人間を……。だから……」
 ガキの我儘みたいな言葉は、結構堪える真実だったから。
 全部伝わってきた。
 こいつの思いも、願いも。


 「俺は……君の音を殺さない。君にも殺させない。そんなこと許さない。俺はちゃんと君が誰だか分かってるから」
 尚尋と同じの真っすぐな目だった。
 真っすぐ俺だけを見据えて、潤んでいる目で瞬き一つしないで。
 俺の周りにいた奴らが、次第に事の状況に気付いて騒々しくなってきた。
 けど、今となってはもう俺らには関係のないところのノイズ。
 「すいません。俺急用ができたんで帰らしてもらいます。ああ、勿論ギャラは要らないですから」
 尚尋のことを言えなくなっている自分に気付く。
 プロデューサーの顔が変色していた。それでも俺の知ったことじゃない。


 俺は真っすぐに見た。俺が誰だか分かっているって、言い切った奴の顔を。


 「ヤニとギターが無くちゃ生きていけない奴の、本性剥き出しの音でいいならいくらでも聴かせてやるよ。何度でも、何万回でも弾いてやる。けどな、てめぇだけの為になんか弾いてやらねぇよ。俺だけの為のものだよ。それは絶対譲らない。安心しろよ。お前にも聴かせてやるから。欲しけりゃいくらでも使わせてやる。……俺の音を殺さない場所を提供するんだろ? 三輪」







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